今回は、いつも見慣れているが、金沢城のシンボルである石川門の中に入ったので紹介します。
兼六園の向かいにあり、石川門を渡って、この門から金沢城に入る観光客が多いので、ここを金沢城の正門と思う人も多いだろうが、ここは城の東方にある搦め手(からめて)門で、藩政期の裏門である。
創建されたのは、慶長期以前というが、寛永、宝暦と相次いで火災に合い、現在の石川門は、宝暦の大火後の1788(天明8)年に再建されたもので、230年近くになり、金沢城の中で現存する建物では最も古く、国の重要文化財になっている。
表門(一の門)と櫓門(二の門)、附属太鼓塀、二重二階の櫓、一重の渡り櫓からなる枡形門である。一の門の高麗(こうらい)門は、正面左右二本の柱に切妻屋根をかけ、これと直角に控え柱を本柱の背後にたてて一段低く切妻屋根をかけたものである。
一の門を右に折れると大きな扉が付いている二の門(櫓門)がある。二の門に入ると向かい側に「入口休憩所」があり、ここでは「金沢城」、「兼六園」の観光情報が手に入り、ガイドさんたちが待機している。
一の門と二の門の間は、ぐるりと多聞櫓があり、金沢城の特徴である、木型に鉛を貼った「鉛瓦」や平瓦を貼った目地を白漆喰で固めた「海鼠(なまこ)壁」となっている。下に石垣は右側が「打ち込みハギ」である。
一方、左側の石垣は「切り込みハギ」である。このような同じ場所で違う積み方しているのは珍しいという。
この日は、石川門の中に入れるということで、門の裏側に回って中に入った。
その入口の横の塀には「鉄砲狭間」がずらりと並んでいた。小さな扉を開いて敵を攻撃するようになっている。
内部はやはり薄暗いが、棟木や湾曲した太い梁、小屋束(こやづか)、母屋(もや)、垂木などでできているが、その重厚さに圧倒される。
この内部から、一の門と二の門の間にいる人たちが見えるが、一の門から敵が攻めてきた時に、二の門を閉めて、周りの多聞櫓のいくつかある窓から鉄砲を撃って敵を攻撃するという。