2013年5月18日土曜日

養知院、木倉町界隈

前回の続きで、中央通りにある寺院の養知院に行った。
ここは、5代藩主綱紀が、この一帯の寺院に転地を命じたが、本尊地蔵尊が
現れて「当院は鬼川の守護のため残すべし」と告げたということで、ここの寺
だけ残ったという。




















私の前におばさんがお祈りしていたので待っていたが、非常に長いお祈りで、
何を祈っていたのであろうか、終わったら「すいません」と謝って行った。

次に木倉町に行った。ここは以前片町2丁目だったが、地元の強い要望
により平成15年に町名が復活した。

木倉町は江戸時代には大野庄用水を利用した藩の材木蔵があったことから、
その名が付いたという。


明治、大正、昭和初期までは、八百屋、魚屋、肉屋、下着屋、仕立て屋など
生活に密着した商店街だったが、昭和30年ごろから飲食店が多くなったという。
私もこの辺りによく飲みにくるので紹介したいと思う。

まず、おでん屋の「大関」は何度か入ったことがあるが、他のおでん屋に
比べて広く、落ち着いた雰囲気がある。お酒はやはり「大関」を出す。
名物のお爺さん(百歳くらいだったとか)は、2~3年位前に亡くなったしまった
とかで残念である。




















割烹「大岩」は会社の飲み会、テニス仲間の飲み会などで来たことがある。
ランチなどもやっており、リーズナブルでおいしい。




















居酒屋の「源左エ門」、「五郎八」、たこ料理で有名な「浜の」など、
うまそうな店構えのところがたくさんある。




























































つい最近。友達と一緒に居酒屋の「一合半ぶん家」に入った。
ここで、隣にいた東京から来た観光客と意気投合し、話が弾んだ
ことを覚えている。




















最近は、町屋を改造して居酒屋にしている店もあった。




















木倉町でひとつ忘れてはならないのは、純喫茶の「寿苑」である。ここで一服した。
ご主人がなくなって、今はおばさん一人でやっているが、昭和32年からやっている
からもう56年になる。
学生時代の頃からあったからなんとも懐かしい。あの頃は純喫茶がたくさんあったが、
今はほんのわずかになってしまった。
おばさんとこの付近の昔話に花を咲かせた。





















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