2012年8月6日月曜日

浅野川河畔の職人町と西別院

今回も、かなざわまち博2012の散歩学に参加した。
説明してくださったのは、金沢工大の増田達男先生です。
増田先生は、江戸時代の街並みを3Dで再現したり、金沢の
町屋などの建物の研究をなされている。

まず歩いたのは、刀鍛冶や象嵌の仕事をする人が多く住んでいたという
旧鍛冶町や旧象眼町などの職人町をめぐった。








































また、この付近には江戸後期や明治時代に建てられた、「袖うだつ」と呼ばれる
ものがある町屋が多くあった。




















江戸時代に物資を運ぶために作られた思われる用水やあるいは大変狭い小路などもあった。








































笠市町は笠問屋が多く並んでいたから、堀川町は粟ヶ崎、大野などの港から
舟で金沢に荷物を運ぶために浅野川を掘り開いたことからこの名が付いたという。
付近には魚を獲るための網を売っている店もあったのは、上記の理由からであろう。








































続いて、五宝町にある西別院に寄った。
東別院は昭和37年に焼失して、今は鉄筋コンクリートになったが、
ここ西別院は江戸時代に作られており、木造で大工の技量の高さが分かる
趣のある立派な寺である。
西別院は本願寺10代証如によって建立され、、その後2回の大火で焼失し、
現在の本堂は1849年に再建されたという。








































本堂の斜め前にある経蔵という六角の建物の中を掃除する人がいて、開いていたので
たまたま中を見ることができた。
中には、八角の書物の棚や彫り物が回転台の上に載っていて、人が手で押すと
回るという。








































現在の中島橋付近に江戸時代に栄えたという堀川揚場があった。
この付近は、江戸時代に大変ににぎわっていて、郭や食べ物屋があったり
明治から大正時代には米屋が立ち並び繁盛していたらしい。








































また、この付近は私の母の実家へ行く通り道だったので、小学生のころ
いとこの家に遊びに行くとき、よく通ったのを覚えているが、55年前と
あまり変わっていないようにも思う。

この日の散歩は2時間だったが、持病の足のつま先が痺れたのと、暑さのせいで
大変疲れた。

より大きな地図で 笠市町 を表示







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