2018年7月13日金曜日

安土城跡(2)

安土城(1)の続きで、「大手道」をさらに上に上がると、ようやく曲がりくねった階段になった。階段の高さが高いところもありあり、ここまで上がると息が上がってきた。










































傍らには井戸跡があり、生活するためにはどうしても水が必要であるので、他にも井戸があったはずだ。また、ため池を作って、ためた水を使用することもあっただろう。



















天主への道と通用口である百々橋口道の合流点という位置するのが織田信忠邸跡がある。織田信忠は、織田信長の長男で、織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主となった信長の後継者で、甲州征伐では、総大将を務めているという。



















安土城の中枢部に入る入り口に黒鉄門がある。それまでの中世城郭には見られない石垣の升形虎口となっている。ここらあたりの石垣は、さらに大きいものになっている。これより先は、信長より選ばれた側近たちと生活を送っていたという。





































信長が築いたという石垣は天主台と二の丸虎口付近により残っている。角部分はまだ算木積みが十分ではない。
























室町中期の「仏足石」があり、下の方で見た「仏石」と同様に築城当時に集められた石で、この石の上には仏の足の模様が刻まれている。この「仏足石」はお釈迦さんの足跡を表現したもので、古代インドでは仏像に先駆けて崇拝されていたものと同じだという。



















天主跡の西下の伝二の丸跡に信長公の御廟がある。羽柴秀吉が天正11年1月に三法師に年賀を表すべき登城し、次の年の2月に信長ゆかりの太刀、烏帽子などの遺品を埋葬し、本廟とした。



















御廟の門瓦の先端には、織田信長の紋「五つの木瓜」が記されていた。



















安土城の天主台見たさに老体に鞭打って、さらに石段を上に上がる。