2018年3月6日火曜日

加賀獅子頭 知田工房

今回は、テレビで放映したのを見て知ったが、鶴来に「加賀獅子頭」を作っているところがあるということで見に行った。鶴来のバイパス沿いの「ふれあい昆虫館」の先にあった。



















店の前のウィンドーの中に、おおきな獅子頭が飾られていた。その横に由来が描かれていた。天正11年に加賀藩祖の前田利家が金沢城に入場した際に、御前に獅子舞を演じたことを起源とし、歴代藩主が奨励し、町民文化の発展により加賀獅子舞は豪華さを誇るよになったという。男子出生の場合には魔除け厄払いとして座右に飾られ、立身出世の象徴としても愛玩されているという。



















また、このウィンドーの前に木の丸太が並べられていたが、これが獅子頭の材料となる地元白山麓の「桐」材であろう。ちょっと持ってみるとかなり軽いと感じた。何十年もの年輪が見えた。



















店の中には、大小さまざまな獅子頭のほかに龍や長刀などもあった。地区によってさまざまな顔をしており、形や大きさ、色など多くの獅子頭があった。その地区地区の伝統的な獅子を作らなければならないので、古くなった現物の獅子や写真を見ながら作ったり、また修理も多いという。
加賀獅子頭は「八方睨み」といって、どの方向から目を見てもにらまれているように見える。これは、薄い真鍮の板に黒漆を塗っているものや、木に漆を塗って金箔を貼り付けた上に黒漆を塗ったものもある。角もさまざまな形状や色があるという。



















かなり古そうなものも飾られていたが「夫婦獅子」であろうか?



















昭和40年代の武蔵が辻での獅子舞の写真が飾られていた。百万石行列の時ものであろう。加賀の獅子頭は他の地区のものより大きく、体は大きな布の覆われた「萱」のなかに何にもの人が入っているのが特徴である。。本格的に「棒振り」と戦う獅子舞の「獅子殺し」の演技が盛んになったのは、江戸の末期からであろうという。江戸の末期から明治にかけて、町民や農民が武芸を習うのができるようになったことと、失業した武士の職業として「棒振り」を教えたことが相まって、金沢市内や石川、河北郡に広まったという。



















店の奥には、獅子を彫刻する部屋があった。木槌や金づちほかに様々な種類の彫刻刀があるのだろう。ひとつの大きな獅子を作るのに約8か月かかると言っていた。今ではほとんどやる人がいなく、数少ない獅子頭職人である。
加賀の獅子頭の多くは桐の一木の彫で、大きなものは、樹齢何年もの木を使わなければならない。金沢の桐工芸には、「桐たんす」や「桐の火鉢」もあるが、今は普段に使われなくなり、飾り物としてだけなので需要も少なくなっただろう。

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