2018年3月19日月曜日

高尾城跡①

今回は、昨年の11月に私が所属している団体の仲間のサークルと行った「高尾城跡」を紹介する
山側環状線の「高尾南」の交差点から山側に曲がり、坂を登っていくと「県の教育センター」の建物がある。そこから急な階段の遊歩道を15分程度上ると「高尾城跡見晴らし台」に着く。





















「見晴らし台」からの眺望は最高で、右側の方向には、香林坊付近のビルなど金沢市街が見え、卯辰山の背後には宝達山も、兼六園の「眺望台」よりずっとはっきり見える。












中央には「金沢工業大学」の建物など野々市市街が見え、日本海もくっきり見える。










また、左手方向には、新幹線の高架橋や、海沿いにある大きな建物(ジャパンディスプレーの建物?)など松任方向や南加賀方面が見える最高のロケーションである。



















ここで、530年前に日本のを歴史揺るがす大事件があったということは以前から聞いていた。そこで、この高尾城でどんなことがあったかについて少し調べてみた。下の写真は、高尾台の高尾中央公園から右手の高尾山と左手の前山を撮ったものである。
標高170mの高尾山の「ジョウヤマ」は、1970(昭和45)年に、ここの土が適しているということで、北陸自走車道建設のための土取場と化した。しかし歴史研究家から、ここは歴史上重要な場所であるという指摘から、工事が中断された。その後に、城郭調査をし始めたところ、もともとは「ジョウヤマ」だけが唯一の城と思われていたが、現地に入ると思いもよらぬ巨大な城であることが分かった。



















下の「高尾城跡遺構図」の上方の曲線部分のところまでは、削り取られてしまったところで「ジョウヤマ」は半分以上が削られてしまっている。「ジョウヤマ」の後ろの「コジョウ」はそのまま残っている。黄色い部分が平らな曲輪、緑の部分が削って崖にした切岸、そして茶色部分が堀切跡を示す。「コジョウ」には虎口や畝状の堀切跡が残っていることから、背後から攻められないようにと防御したと思われる
高尾城跡遺構図 


下図の高尾城塞の見取り図は、この辺の調査結果を示している。深く切り込まれた中谷
(現在は万願寺川)、城谷川そして七瀬川の間に前山、高尾山の「ジョウヤマ」、「コ
ョウ」そして額山がある。その大きさは南北1.5km、東西1.5kmの広大なものであっ
という。ここは、自然の山や川、崖などを取り込んで、守りやすく敵を攻めやすく、
た、周囲が見渡せる絶好の場所として城を作ったものと思われる。

また「コジョウ」から額山に続く尾根沿いに旧道があり、堀切跡や石垣が残っているさらに奥に進むと周囲が崖に囲まれた三つの曲輪があり、額谷城があったといわれている。
前山にも堀切や平端部が見られる。城谷川をはさんで「ジョウヤマ」があることから、前線基地として守備を固めたのではないかと言われている。また前山の後部には、寺跡や井戸跡なども見られる。
前山、額山、高尾山は七尾城や鳥越城と同じく巨大な山城で、連郭式の縄張りといわれ、お互いが連携しあっていたという。