2017年12月26日火曜日

東北地方北部ドライブ(17)弘前城①

東北地方北部ドライブ(16)の続きで、その後、予定時間より遅れたので、途中「太宰治記念館」にも寄らなく、前から行きたいと思っていた弘前城に着いたのは、3時近くになってしまった。
弘前城は津軽藩の居城として、2代藩主信枚によって1611(天正11)年に築かれた。当時は5層の天守を備えていたが、その後、落雷によって焼失した、現在の3層の天守は1810(文化7)年い再建され、廃藩にいたるまでの260年間は、津軽藩の中心地であったという。下の写真の追手門は、大雪でも埋もれないように初層の屋根が高くつくられている。



















二の丸南内門は、築城当時のものといわれていて、北門や東門、追手門など5門は重要文化財になっているという。



















弘前城は何といっても桜が有名で、桜の季節には大勢の人で賑わうところである。ここには、約50種、2600本の桜が植えられているという。1725(正徳5)年に弘前藩士が25本の桜の苗木を植えたのが始まりという。現在ではリンゴの剪定技術を応用して、木の成長を促す手法がとられているという。
下図は「二の丸の大枝垂れ」で、桜が咲いた時期の写真が付いていたが、実際見ると見事なものであろう。



















朱色の「下乗橋」から見る堀と石垣。向こうの石垣の上に天守があるはずだが、2015年から城の曳家工事により、現在天守はここにはない。
この橋は、江戸時代に下馬札が置かれ、藩主以外は馬から降りて渡ったためその名が付いたという。



















移動した天守の横で、訪れた人がリンゴを置いて「写楽の浮世絵」を描く「リンゴアート」というイベントをやっていた。リンゴを使うということが弘前らしいところだ。



















100年ぶりの石垣修理のため、天守は本丸の内側に70m移動しているが、江戸時代に建てられた12の天守のひとつである。幕末近くに建て替えたときに徳川家に遠慮して、金沢城と同じく「三階櫓」にしており、さらに現在は石垣が下にないので、なんとなくこじんまり見える。



















天守内には弘前城のジオラマが展示されていたが、天守以外に多くの建物があったのだ。



















天守の最上階から見える「岩木山」は雄大である。
























江戸時代の初期のもであろうか、石垣の形状や積み方は金沢城の石垣とは違う。石垣の上にはたぶん建物があり、階段を上ってくる敵を攻める狭間などがあったのであろう?



















重たい石垣を移動させたり、吊るし上げたりする道具「神楽桟」という道具が展示されていた。ロープの端に石垣を結び、柄を押して軸を回しロープを巻いて移動させるものを展示されていた。石垣の多きな石を曳くのは絵図などでよく見て知っているが、積み上げるのは、どうやってやったのか私もよく理解していなく、不思議でならない。
























堀と道に沿って、今は緑の葉である桜並木があったが、桜の満開のころはさぞきれいだろう。他の多くの都市や東京は3月末から4月上旬に満開になるが、ここは4月下旬からゴールデンウイークなので人でいっぱいになる。