2013年2月7日木曜日

柿木畠,本多町から出羽町(2)

前回の続きで、21世紀美術館の横には県知事公舎がある。
現在の石川県知事の谷本正憲さんが住んでいる。
明治、大正のころは横山男爵の居住の場であったという。




















その横には、1854(安政元)年に設立された加賀藩の洋式武学校であった
「壮猶館」の門だけが残っている。
そのころは外国船が日本によく近づいていたので、軍事力強化ということで
設立された。




















「城南壮」はやはり横山家の13代当主の隆平が1894年に建設した居宅
の一部である。




















この辺は、江戸時代は加賀八家のひとつである本多家の下屋敷であったので
武家の土塀が立ち並んでいる。




















本多町の大通りの角には「歌劇座」がある。
ここでは大きなイベントがあり、金沢でも最大級の観客収容能力を持っている。
ここで有名な歌手の歌謡ショーなどを見たことがある。
以前この建物の名前は「観光会館」と言ったが、この名前になんとなく違和感が
あったが、、今回の「歌劇座」も相変わらずしっくり行かない名前のような感じがする。
学生のころ、学園祭でここの場所で大勢で歌を歌ったのを覚えている。




















中村記念館を通って本多町から出羽町に抜ける急な階段があるが、
これを「美術の小径(こみち)」という。
この横には上から「ドドドドドッ」とすごい勢いで滝のように水が流れている。
登って下を見下ろすと谷底へ落ちていくような気がする。
この水は辰巳用水から前回紹介した西外惣構堀の方に流れている。
今は雪があるが、付近の木々もすばらしく、前の市長の山出保さんも好きな路
であると言っていた。








































美術の小径の上に来ると石川県立美術館と歴史博物館の間に来る。

歴史博物館は赤いレンガの建物で旧陸軍の兵器庫だった。
戦後は金沢美術工芸大学になり、1990年に重要文化財になっている。




















この後、「本多の森ホール」に入った。
ここは以前厚生年金会館であったが、「歌劇座」と同じで大きなイベントが
開催される場所である。
それ以前は「兼六園球場」があった場所である。
中学生のころだったと思うが、プロ野球が金沢に来て、外野の芝生で見ていたとき
巨人の長嶋が我々のはるか頭上へ飛ばした場外ホームランを今でも鮮明に覚えている。
高校生のときは、母校の甲子園をかけた高校野球の応援にもよく来た。




















この日、「本多の森ホール」の会議室で「秋声文学の魅力」と題して
金沢学院大学の秋山稔先生の講演があるということで聞いた。
秋山先生の話は何度か聞いているが、いつ聞いても非常に分かりやすく
面白い。秋声のいろいろな話が聞け、あらためて秋声の人柄、文学にほれ込んだ。




















今日のコースは金沢観光の主な場所のひとつでもある。
今日の散歩時間2時間30分、7200歩でした。

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