2012年10月9日火曜日

兼六園 金城霊沢

前回の続きで、金沢神社の隣には金城池がある。
ここは成巽閣からの水が流入していて、6、7月ごろスイレンが咲き誇るという。




















また、その横には大屋よしあつの顕彰碑が建っていた。
大屋よしあつは洋学者で、壮猶館翻訳方となった。
郷土の文明開化期の啓蒙家でもある。




















次にその隣にある「金城霊沢」を見た。
ここは「金沢」の名前の発祥の地であり、芋ほり藤五郎という男が金の付いた
山芋をここで洗ったという伝説からこの名前が付いた。
芋ほり藤五郎に関連した場所が他に何箇所かあるから、その場所も訪ねたいと
思っている。




















ここの泉は真夏の炎天下でも涸れず、長雨にもあふれることはなく、いつも清水を
たたえているという。この泉をじっと見ていると神聖な気分になってしまうので
不思議だ。




















天井には龍の絵があり、郷土出身の画家の広田百豊という人は描いた。
もとは狩野探幽が描いた絵が掛けられていたというが、傷みが激しく
取り替えられたという。




















また「金城霊澤」の額ががかっているが、これは市河米庵の筆で、
武田有月が彫ったものであるという。




















金城霊沢の背後には鳳凰山がある。
これは竹沢御殿を作っている時、築山をつくり、多くの奇石を集めて
鳳凰の形に作ったことからこの名が付いたという。
鳳凰山の洞窟に金城霊沢碑がある。これは13代藩主の斉泰により
建立された。
これに書いてあることを解説した本読むとなかなか面白いということである。

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