今回は「歴史探訪月間」のイベントの一つである「卯辰寺院群探訪会 震災復興への道のり」というテーマに参加した。(11月9日)
集合は東山の「宇多須神社」で、約30人くらいが参加していた。
下図のコースで、昨年の元旦に起きた能登地震で被害を受け、修理した現在の状況を知るために卯辰寺院群の9か所の寺や神社を廻った。
震災では本殿の石積み部分が崩落し、基礎が沈下したという。拝殿は向拝棟木が外れ、土壁や漆喰が剥落し、玉垣も崩落した所があるという。
令和6年には本殿石積み部分を積みなおし、基礎部分も直した。令和7年には、本殿の覆屋を復旧し拝殿の向拝棟木を修理し、土壁や漆喰壁を塗りなおしたという。
震災では本堂の漆喰壁の一部にヒビや剥落があった。大仏殿のしっくい壁もひびや漆喰壁が剥離した。
令和6年に両建物のしっくい壁の補修し、本堂・大仏殿正面側の外壁漆喰の塗り替え、下見板の張替えを行った。
震災では本堂屋根瓦がずれ、石積みや土塀が崩壊した。令和6年には本堂屋根瓦を修理し、北東側土塀の版築補修、腰板張り修理、屋根瓦の葺き替えを行った。令和7年に南西側土塀の基礎石積みを積みなおし、版築制作、腰板張り修理、屋根瓦の葺き替えを行った。
続いて、私も震災の1か月後に見た「來教寺」に行った。
毘沙門山と号する天台宗の寺院で、1564年に卯辰山の一本松に草庵を建てたのを開基とし、1708(宝永5)年に現在地に移転したと伝えられている。神仏混合の様相を伝える寺院で、本堂左内陣は金毘羅大権現、右内陣は阿弥陀仏を祀り、境目は小壁を入れるのみとなっている。
版築工法の土を少しづつ入れ、土を叩きながら積み重ねていく、その何層にも積み重なった土が見えた。木枠が以外にも細いと感じた。
長町武家屋敷の土塀もこのやり方で作っている。
能登地震10日後くらいに見に行った時点の「來教寺」は、このようにひどい状態であった。
木枠の中の土があらわに出ている。
続いて「來教寺」の通りの坂を上がると急な階段がある。この先が「西養寺」である。
清澄山と号する天台宗に寺院である。藩祖の前田利家、2代利長がからの信頼が厚く、利長が越中守山・富山・高岡と移住した際には、追従して移転し、1612(慶長17)年に現在地に移った。眺望絶景の立地はその格式の高さを表すという。
震災では階段石積みの崩落や石材のヒビ、本堂・聖天堂内壁の剥離・割れ、山門・塀の屋根瓦落下、鐘楼基壇のずれや稲荷社の傾きなどがあった。
令和6年には階段を補修し、本堂・聖天堂の壁面の塗りなおしを行った。山門と塀は瓦の葺きなおした。令和7年には鐘楼基壇石積みの積みなおしと稲荷社の礎石や柱脚を修理した。
下図の写真では階段の左端側がきれいな石材になっている。

