2025年7月9日水曜日

妙高高原(4)関山神社 旧関山宝蔵院庭園

 妙高高原(3)苗名滝の続きで、その後、国道18号線まで下りて、少し走り左を曲がった所に「関山神社」と「旧関山宝蔵院庭園」がある。

関山神社周辺案内図










「関山神社」は妙高山の里山として創建された。妙高山を神体山として祀っている。江戸時代までは関山権現と称して修どう県験道の聖地だった。1582(天正10)年に織田信長の武将森長可の越後攻めにより焼失衰退するが、江戸幕府より寺領100石を安堵されて復興し、1818(文政元)年に現在の欅造りの本殿が完成した。1868(明治元)年の神仏分離令で別当寺宝蔵院は廃寺となり、社号は関山神社に改められたが、神仏混合の名残をとどめている。



















拝殿、幣殿、本殿が一体化構造をなし、各部に彫刻が施されている。平成30年に国の登録有形文化財に登録された。
























本殿の左側に行くと「関山仏足石」がある。仏足石とは礼拝として用いられたもので、釈迦の足裏を刻んだ石である。関山の仏足石は、奈良の薬師寺のものについで古いものである。


















この仏足石は、高さ約2mの安山岩の垂直面を用いて、中央に仏足(主導)向かって右側に華判(釈迦の実印)左側に舎利塔(釈迦の遺骨を納めた塔)を彫刻したものである。この仏足石は他に例がなく、国内唯一なものと言われている。










































重巡洋艦 「妙高」分祀記念碑
























「神輿殿」と描かれていたので、この小屋の中には神輿が保管されているのであろう。


















「関山宝蔵院墓所」は江戸時代に徳川幕府から朱印地を拝領して当地を納めた宝蔵院(天台宗)の歴代印主などの墓所である。
































小さな五輪塔が多く置かれている場所があった。


















さらに歩くと大きな庭園「旧関山宝蔵院庭園」がある。関山は室町時代から存在したらしいが、戦国時代の戦火で大きく衰退した。江戸時代に幕府や本山の支援を受けて、宝蔵院が寺坊や庭園の改修が行われ現在の姿に復元したという。池の周りに大きな石や灯篭、石橋などがあ配置されている。ここの庭園の一番高い築山が妙高山を表現しているという。



















周りには巨石や多くの石組が配置されている所から高さ5mの滝が流れている。この滝の上からは「妙高山」が見え、この庭園は「妙高山」を借景としている。


















下の方には広い芝生や小川や東屋が見える。


















また神社の方の戻るとまっすぐに伸びた杉林がある。


















その杉の木の下に多くの石と細長い紫のきれいな花が咲いていた。