今回は、時期になったら最近いつも行っている 「桃の直売」の店桃を売り出すということで、家のものと近所の人を乗せて、大桑にある店へ行った。9時30分から整理券を出すということで、8時40分に着いたが、既に多くの人が行列についていた。
それで行列は家内たちに任せ、私は近くにある神社を見つけたので、そちらをゆっくり見ることにした。ここは人気がない「大桑日吉神社」であることが後で分かった。
境内入口には石と煉瓦でつくられた楼門型の鳥居が立っていた。その上部の望楼には「梅鉢紋」が彫られていた。この鳥居は明治初期に起こったもめ事の和睦の際に献上されたという珍しい様式のものである。尾山神社の神門と似ている感じもし興味が湧く。
その横に鎖が張られた中に灯篭の上部の火袋や笠が2対置かれていたが、この神門の上に載っていたのであろうか?能登地震で壊れたのであろうか?
こちらは本来の鳥居と「日吉神社」の標柱、参道の奥に拝殿が見える
日吉神社の創建ははっきり分かっていないという。鎌倉時代の1227(嘉禄3)年に富樫氏の一族である大桑讃次郎光行が白山神社の神主になった際に、この本殿を建て、神に供える田んぼを寄進したという言い伝えがある。このことから、日吉神社はそれ以前から存在していたと考えられる。すなわち1227年前以前からこの地にあったという古い神社ということである。
その隣には龍の口から水が出るようになっていて、その下には赤戸室の面白い形状の水溜石(?)の立派な「手水鉢」がある。
こちらのふたつの石は苔むしていたが「夫婦石」それとも「力石」(?)
拝殿の前には立派な「阿吽形」の狛犬が祭神を守護している。
配膳の前には「日吉神社」の扁額がかかり、お参りのための鈴のついた紐がぶら下がっている。建物はかなり古そうである。
拝殿は、わずかに開いていたが、そこで丁寧にお参りし、拝殿の奥の幣殿、本殿を見た。
拝殿の横にも出入り口があり、鳥居が立っている。
神社の奥は、大きな杉などがうっそうと茂り、静けさと神聖な趣を醸し出している。
境内の後ろには、石垣が積まれていた。