2025年3月11日火曜日

超寒波第二波の最終日の兼六園(3)

 超寒波第二波の最終日の兼六園(2)の続きで、さらに園内を歩く。月見灯篭も玩月の松も雪まみれである。



















眺望台から見る山側の風景で、空がどんよりしていて私がここでよく見る好きな風景の医王山・戸室山は全く見えない。近くの山の中腹まで家並みが大きく広がっているのは「鈴見台」付近か。




















海側の方は、橋場町付近のビルが大きく見え、遠くの金沢市以北の低い山が見える。


















雪吊の枝に結ばれるロープの結び方がはっきり見える。庭師がやる技術が必要なものだろう。


















この辺りは兼六園のもっとも有名な見どころで「ことじ灯篭」、「霞ヶ池」、「内橋亭」などが見える。反橋の虹橋には人が滑らないように筵が敷かれている。この写真の右側の方には虹橋の上に立って写真を撮る人がいっぱいで珍しくきちんと整列した行列ができていた。


















「ことじ灯篭」と雪吊された「唐崎松」も角度を変えてみると、あらためて素晴らしさが分かる。池の水面の上には雪が積もっているように見える。


















こちらは「幽邃」の呈をなしている「常磐ヶ丘」は、木々が多くあり小川や小滝がある。


















温度が低くても、いつもと同じように上がっている噴水と横に小さな灯篭が備えられている。噴水は大小二つのノズルから勢いよく上がっている。これもノズルの数や大きさを変えて、いろいろ試行錯誤して、形良い上がり方を見つけて、現在のような形にしているのであろう。
こちらは噴水のしぶきのためか、水面の雪が解けている。


噴水の向かいには「旧時雨亭」の木札がかかっているが、ここが兼六園の発祥の地の場所で5代藩主綱紀が「上の御亭」を作った場所で、藩主の家族、重臣たちおよび徳川家の使者たちが招かれて観月の宴や観楓の宴や茶会などを行っている。


















下図は、江戸時代の寛政の頃の「上の御亭」の絵図で、座敷や茶室、台所などがあったという。



園内で一番長い石橋の「黄門橋」へは、危険なので通行止めとなっていた。この先の付近は木々がおい茂っていて「幽邃」の呈をなしている所である。
























「松濤坂」を下りると「茶店通り」がある。藩政期には、ここは蓮地馬場があったところで、真直ぐな長い通りである。普段は多くの人がいる所だが、今日は人の姿が見えない。それ以前の1600年頃には3代藩主利常に家康の孫にあたる「珠姫」が輿入れいた時に、300人くらいの付き人が付いてきたが、その人たちはここの長屋に住んでいた。そして「珠姫」が亡くなると江戸に帰ったという。