2024年8月24日土曜日

小松 粟津温泉(4)法師①

 小松 粟津温泉(3)日本自動車博物館②の続きで、その後今日泊まる「法師」に行った。

ここは、約1300年前に霊峰白山開山の祖である泰澄法師が粟津温泉が開湯された際に、法師の初代が湯治宿として開業したのが始まりである。



















上の写真では写っていなく後で知ったが、法師の玄関前の車道の真ん中に「黄門杉」が立っている。加賀藩三代前田利常が小松の那谷寺を訪れた際に、粟津温泉に立ち寄って御手植えをされたもので、当時利常公は「中納言」で、江戸上屋敷の門が黄色だっため黄門様と呼ばれたことが由来である。しかし樹齢400年を超えて、次第に傾いてきて、鉄骨の支柱に支えられている。











法師に近くに粟津温泉「総湯」の建物があったが、休館日だった。




















玄関横には「足湯」があるようで、その建物には格子状の丸窓があり、屋根は「石置き屋根」で、屋根が低いので石が動かないようにするための木の柵の様子が分かる。












現在の法師の玄関は、宿札の円窓の一致から明治16年以前の建築と推測されている。玄関棟は、切妻造りの雪止めが付きの桟瓦葺きで、端が鬼瓦を備えている。2階建てで、正面2階には4か所の丸窓が配置され、さらに禅宗の影響を残したアーチ状の火灯窓が2か所配置されている。

2016年に有形文化財に指定されたという。



















玄関を入ると、広々とした空間からは、欅の梁や柱で、土壁やベンガラ壁が見え、多くの小さな和風あかりが天井から吊るされていた。



















ベンガラ壁で中央に自在鉤に吊るされた茶釜が置かれた洒落た茶室があった。



















こちらは、群青壁で床の間に立派な掛け軸や飾り棚を備えた、こちたも洒落た座敷である。
































この「魔除け瓦」は、寛政6年に越前の三国の川上清七郎に2個作らせて、以後180年屋根の上にあったもので破損により取り外し保存したという。


















下図は1857(安政3)年の頃に、41代善五郎の折に定められた「粟津八景」が描かれている。多くの宿屋や人々が歩いているのが分かる。奥に湖が見えるが「木場潟」か(?)


















茶会などの合図に用いらる「銅鑼」や試験成績書とともに紙に包まれた明治時代に開発された薬(?)、大きな古い九谷焼のお椀などが展示されていた。


















いつのころに造られたものか古い「琵琶」や法師の引札などが展示されていた。


















庭の一角に「能舞台」をあしらった場所が見えた。


















この部屋は「立礼席」といって、明治時代に外国客のために創案されたいわれており、椅子に腰かけて行う点前のことだという。赤い番傘が目印で、ここから見る庭園は、また格別だという。