2023年10月14日土曜日

小松天満宮(2)

 小松天満宮(1)の続きで、さらに参道を歩くと、右奥に「神門」があり別称「赤門」と呼ばれる門がある。朱色の建造物は、社殿と同じくあの有名な山上善右衛門により造営された。

四脚門で切妻造、柿葺形銅板葺きで、江戸初期における唐様建築の代表的なものである。

昭和63年に重要文化財に指定されている。





















「小松天満宮誌」より













社殿前には、小松天満宮創建当時から現存するもので、石材は金沢の庭園などどもよく見かける坪野石である。利常公の時代から藩用として一般の採掘が禁止されたいた。

























三重や五重、七重の塔はあるが十五重の塔は珍しい。堅牢な坪野石を使い、均整と調和のとれた見事な石造技術は、後世に残すべき貴重なものであるという。







「小松天満宮誌」より
















小松天満宮は、小松市街の北部梯川の北岸に位置している。3代前田利常が隠居後に、寛永16年より万治元年までの19年間小松城に居住していた。そしてこの間に日ごろから崇拝している菅原道真公を創祀することとし、小松城鎮護も含め、明暦3年に創建された。
参道から十五の塔と社殿を望む


















本殿は三間二面の入母屋造りで、屋根銅板葺、拝殿は七間二面、屋根銅板葺、正面に千鳥破風、向拝は唐破風である。














































「献木」と描かれた案内板を見ると18代当主前田利祐氏が、白梅を菅原道真公1100年大万燈祭斉行を記念して献木したものである。


















ここに能舞台があったが、2代利長公が小松住の諸橋太夫と波吉太夫に命じて市人を城中に入れての町民能を催した。3代利常公も町民能を斎行した。諸橋太夫と波吉太夫はその後、代々加賀藩能役を務めた。明治維新後に金沢に残されていた波吉太夫家の能舞台は、小松の能楽愛好家により、ここに移築されたという。


















天満宮に響く謡曲の声はまた趣があるだろう。




「小松天満宮誌」より













学問の神様の菅原道真公が祀られている小松天満宮は、やはり合格祈願などの絵馬が多くかかっていた。


















梅鉢紋とこの石造は何だろうか?