2020年1月10日金曜日

片町1丁目界隈(旧河原町、旧大工町)(1)

今回は、片町の大通りの金劇側の「片町1丁目」界隈を歩いた。犀川大橋の袂に、この橋の歴史などが描かれた案内板があった。ここに犀川大橋の「木橋時代」が描かれており、前田利家が1594(文禄3)年に最初にかけられたが、たびたびの洪水氾濫で、何度も改修されたという。当時の大橋は長さが70m、幅が5mあり、城下随一の大きさだったという。その後、1919(大正8)年に鉄筋コンクリートの橋だったが、3年後の1922(大正11)年に金沢測候所解説以来の集中豪雨で橋が落ちて、現在のものになったとあった。現在の大橋は、以前とは違う橋桁のないもので、東京帝国大学大学院を修了し米国留学から帰ってきた関場茂樹が設計し、市電に耐えられるよう設計しているので、もう100年近くになるが、その頑丈さが窺えるという。



















犀川大橋の1本手前の小路に入り、すぐ左の小路に入った。ここに「旧河原町」の標柱があり、「この付近は、もと犀川の河原で、藩政初期、犀川の改修に伴って新たに作られた町の一つであるところから、はじめ、後河原町と呼ばれたが、のち、この名がつけられた」とあった。




































標柱の後ろにある洒落たレンガ造りの店は「ぴるぜん」という随分前からあるドイツ風のビアホールの店で、会社に行っているときに何度かのみに来たことがある。黒ビールとウィンナーソーセージの店の印象が残っているが、今はどうなんだろうか?



















「中央通り」の大通りを渡ると、また藩政期からある小路に入る。車はどうしても一方通行になる。
























「アパホテル」の裏側に、以前テニス仲間から無料券をもらったので、何度か行った「天然温泉 サウナ片町」の裏入口があった。ここの露天風呂は十数階の建物の屋上にあり、周りの建物より高いので、裸でも大丈夫ということだ。風呂に入りながら遠くの白山連邦の山並みが遠望できる所である。



















竪町商店街の通りに出ると角に、今流行りの「タピオカ」の店があった。タピオカはキャッサバという芋の根茎にあるデンプンのことだそうで、今までにもいろいろな食材として使われているが、「タピオカティー」はミルクティーに大粒のタピオカパールを入れた台湾発祥の飲み物だそうだ。ここには「台湾タピオカ専門店」と描かれていた。
























また次の小路の角には、「りんご飴専門店+はりねずみ専門店カフェ 」とあった。こんな店があるとは知らなかった。
























 ここにも町家を利用したという居酒屋「わたる」があった。側面の広い板塀が見事な建物である。中の部屋も古風な部屋なのであろう。
























藩政期から間口が狭く奥深い店が多いが、この辺りでは珍しく武士系(?)の和風住宅の家があった。