2016年9月16日金曜日

寺津用水遊歩道(1)

先日、辰巳用水の遊歩道を歩いたが、今回は、そのさらに山側にある「寺津用水遊歩道」を歩いた。この寺津用水は辰巳用水よりも奥にある犀川最上流の用水であり、末町、土清水町一帯を潤す農業用水という側面と、金沢市民の喉を潤す水道の水源という側面を持っている重要な用水である。
この用水の歴史は大変古く、1646(正保6)年ごろ、田中覚兵衛という浪人が藩に言上し、その後、1664(寛文4)年に改作奉行の指揮の下で工事が始められ、翌年に完成したという。ということは辰巳用水ができてから30年後くらいである。辰巳用水より長い隧道となっているので、やはり難工事だったことだろう。


























犀川からの取入口は熊走町にある「上寺津ダム」付近にあると聞いたが、辰巳用水の取水口の「東岩」は「辰巳ダム」付近であるから、さらにずっと上流になる。


また、辰巳用水以上に長いトンネルを持ち、金沢で初めての発電所を作ることになったところでもある。
金沢における電力事業は1890(明治23)年に当時の商工会議会の会頭であった森下八左衛門が計画し「金沢電機株式会社」をつくった。そして、一般家庭に電灯が付いたのは1900(明治33)年で、この寺津用水を利用した辰巳発電所から電気が送られたという。




















また、現在の金沢市民の飲み水としても使われている「末浄水場」の水は寺津用水から流れ込んでいる。





















今回は「金沢学院大学」と「金沢学院大学付属高校」の間を通っている「寺津用水」に沿って遊歩道が整備されているので、そこからスタートした。




















坂下に見えるのは「金沢学院大学付属高校」のグランド




















上流方向に少し歩くと遊歩道が終わり、すぐに暗渠となっている。





















次に、下流方向に遊歩道を歩いた。




















ここにも遊歩道の説明書きが所々にあり、どの辺りを歩いているかが分かるようになっている。また、これを見ると山を撒くように用水が作られているのが分かる。




















用水の上の方にいくつかのタンクとハンドル付きの手動バルブが並んでいたが、何に使われていたのであろうか?




















用水と遊歩道の右側は木々などが生い茂り、左側は崖下となっている、


























途中に二つのツタが絡み合い、上の方ではそのツタが杉の木の絡んでいる面白いものを見た。
まだ青かったが栗の実がなっていた。




















遊歩道の途中に一服できるベンチなどが置かれた憩いの場所もあった。