2015年12月24日木曜日

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(6) 竹田城②

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(5) 竹田城①の続きで
南千畳から本丸方向を見る。




















南千畳から竹田の町や丹波・但馬の街道などが見下ろせる。この丹波街道と但馬街道が交わる交通の要衝だったので、敵が攻めてきた時にすぐに対応できるように竹田城から見張っていたのではという。




















竹田城から下りるとき、城を見上げると雄大さが感じられた。この付近には、山肌を崩して出てきた石を運んで石垣に利用したという石取場の後いくつか残っているという。




















天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉にとって竹田城は播但地方の勢力を抑えるためだけでなく、近くにあった生野銀山を支配する拠点として重要であったという。生野銀山は1200年以上の歴史を持っていて、江戸時代は幕府直轄、明治時代は政府直轄の鉱山であった。




















またシャトルバスで下に降りると、竹田駅前付近にはJRの線路に沿って真っ直ぐの旧街道があり、古い町並みが続いていた。以前は旅館、料理屋、茶屋などの商店が並べ、家具や多くあったという。今は、竹田特産の家具の店と漆器、仏壇屋以外は無くなってしまったという。





















明治時代の、「旧木村酒造場」の建物には屋根に袖うだつが付いており、切妻造りで窓は「虫籠窓」(むしこ)を配していた。





















この町屋の中をのぞくと、店の板の間と広い畳の部屋があり、天井が高く、部屋の廻りには2階と同じ高さに通路が付いており、2階の部屋からは下の様子が見られように、土壁に丸い面白い開口部があった。




















この明治初期の造り酒屋を改修し、「たけだ城下町交流館」として宿泊施設、レストラン、カフェなどに利用されている。この建物群を考えるといかに大きい造り酒屋であったかが分かる。





















その横にある「山城の郷」の情報館には竹田城の歴史などを紹介する映像やジオラマなどが見学できる。




















お土産屋には、地元特産の但馬牛や日本3大ネギ「岩津ネギ」を使った手作りの商品や「天空の城」という地元銘柄のお酒などが並んでいた。


2 件のコメント:

  1. 昔の生野銀山が紹介されていましたので一言二言まで。
    約25年程前数度生野銀山の玄関口 播但線生野駅を訪れました。
    午後一番で訪問先との約束でしたので駅前周辺で昼飯をと探したが駅前に食堂が一軒だけで、入ったが誰もお客がいなかった記憶があります。
    観光案内に書かれていたハイカラな「ハヤシライス」や社宅などは見る事が出来ませんでしたが、数ヶ所当時の工場建屋や関連建物が見られました。
    駅から銀山湖へ向かって行く途中に「史跡 生野銀山」の観光施設 http://www.ikuno-ginzan.co.jp/  が作られ一部銀山坑内も見学が出来るようです。
    姫路から播但道で和田山で下りて竹田へと思いますが、途中の生野銀山へ寄り銀山での繁栄様子が見たらと思う次第です。
    ちなみに、こんな山奥で更に交通不便な生野にシリコンウェハー(半導体基板)用シリコーンインゴットの製造工場があります。
    現代シリコーンウエハーが無ければご存知の通り半導体素子が作れません。
    生野銀山から算出した銀の製錬工場があり、その関係からシリコーンインゴット製造工場が作られたと思います。

    和田山は播但線終点と山陰本線の接点駅で下車した事はありませんが、大阪・京都から鳥取方面への列車移動時に通過しました。
    和田山は阪神大震災後、大阪~姫路間の山陽本線不通で姫路以西への移動に大阪-(福知山線経由)-福知山-(山陰本線経由)-和田山-(播但線経由)-姫路へで、当時和田山は交通の要でした。
    同時期貨物列車も同様のルートで物資を運んでいたと聞いています。
    和田山は昔も現代も交通の要所でしたが、今は道路網が発達し寂れてつつある様に感じる次第ですが
    天空の城で景勝地となり注目される様になったと思います。

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  2. 生野銀山と和田山の情報ありがとうございます。知らないことばかりで、いろいろ勉強になりました。近くまで行ったのだから生野銀山坑道は見たかったですね。

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