2015年12月19日土曜日

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(5) 竹田城①

兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(4)の続きで、姫路の好古園から北に向かって、天空の城といわれる「竹田城」を目指した。「竹田城」は近年までその存在を私は知らなかったが、映画のロケ地として広く知られるようになり、日本のマチュピチュといわれ、晩秋のよく晴れた日に雲海に浮かぶ城として多くの人が訪れるようになった。
JR竹田駅付近の駐車場に着いたのは正午ごろとなった。




















駅の近くにあった明治時代の古民家を改修したという風情のある「カフェ寺子屋」という店に入り、但馬牛のすき焼きを頼んだ。ゆっくり味わいたかったが、竹田城へのバスの時刻がなかったのであわてて食べるしかなかった。




























早速、竹田駅からシャトルバス「天空バス」で中腹の竹田城跡停留所まで行き、ここで古い門をくぐり竹田城を目指した。




















そこから15分くらい坂道を歩いて登り、結構きつかったが石段を登るとようやく城跡の大手門虎口に着いた。「北千畳」から見る眼下の平地や但馬の山並みの景色がすばらしかった。










































標高353mの山頂に位置する竹田城跡は、1443(嘉吉3)年に但馬の守護大名山名宋全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が7代にわたって城主となったが、織田信長の命によって秀吉の但馬征伐で1580(天正8)年に落城した。そして最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したといわれる。




















縄張りの規模は南北400m、東西100mという、石垣遺構としては全国屈指のもので、平成18年には日本城郭協会より「日本100名城」に選定された。




















二の丸から本丸を見ると一番高い石垣は天守台である。どんな天守があったのであろうか?
このある天守台を中心に山頂部から三方向に延びる尾根上に曲輪を連続的に配置し、堀切や竪堀で防御性を高めていたという。




















ここの石垣は築城当初のものでなく、太田垣氏が城主であった時代は、土を積み上げた土塁でだったという.それが最後の城主・赤松広重が豊臣秀吉の支援を受けて総石垣に改修したという。
400年前に積まれたここの石垣は、いろいろな形状の大きな石が力強く積まれている。




















ここの石垣のほとんどは当時の石垣の最新技術だった「穴生積み」という。これは滋賀県大津市の石工「穴生衆」の工法で、織田信長が安土城築城の際に用いているし、姫路城や金沢城もこの工法を用いている。




















城内の本丸へ向かう進路も複雑に折れ曲がり、高低差もあるなど迷路のような造りで、防御性を高めていた。





















南二の丸から本丸、二の丸、三の丸付近を見ると、その雄大さがわかる。




















ここの石垣は、どうしてこんな高いところまで大きな石を運んだのだろうと疑問を持つが、最近の研究では山を切り崩しながら出てきた石を利用したのではといわれている。これならなんとなく納得できる。