2015年9月9日水曜日

兼六園 黄門橋 獅子巌 白龍たん 蓮池門口 


噴水前から右側にせせらぎ沿いに歩いて行くと、「黄門橋」がある。この橋は青戸室石の反り橋で長さが6.2m、幅1.1m、厚さ0.4mのアーチ型の曲線を描いた1枚岩である。桁と橋板を2枚石のように見せているが、実際は1枚板の単調さに工夫がなされ立体感を持たせている。また、台座の中央に直角に据えられるのが通例であるが、ここは大きな台座の端に115度の角度で斜めに取り付けられているのも面白い。





















「黄門橋」という名称は明治になってから付けられたもので、古図によると「石橋」となっている。これは謡曲「石橋」の舞台を想定して千秋万歳を寿ぐこととして作られたものと思われるという。「黄門橋」の名前の由来についてはいくつかの説がある。「黄門」とは「中納言」の「唐名」であるが、この橋を作ったのは、兼六園を最初に「蓮池庭」を造った5代綱紀であるが、「中納言」になった4人の藩主のうちの綱紀に一番近い時代の「利常」の橋として「黄門橋」と名付けたのではないかといわれている。「利常」は庭園作りに非常に貢献した殿様である。(玉泉院丸庭園など)
手取川上流の鳥越村に「黄門橋」があるが、ここの雰囲気と似ているから、その名が付いたともいわれている。いずれにしても、この付近は木々が生い茂り。六勝のうちの「幽邃」、「蒼古」の趣のあるところである。




















「黄門橋」を渡ったすぐ左手に、兼六園の「三要石」の「獅子巌」(ししいわ)がある。犀川の青黒い滝坂産の自然石で獅子の形をしているのでそう呼ばれている。「虎石」、「龍石」とともに兼六園の守護する魔除石といわれている。この三つの石は金沢城玉泉院丸庭園にあったものを移したといわれている。




















「黄門橋」からの流れと霞が池から「さざえ山」北部方向の流れが合流し、水量を増し「白龍たん」といわれる急流となって「瓢池」に注いでいる。この辺はマツ、モミの木や低木の茂み、小鳥のさえずりなど、さながら深山の趣を呈する所で、町中に居るとは思えない所である。


























お堀通り(百間掘り通り)に面して幅広い石段がある。ここが「蓮池門口」と言い、兼六園の表門(正門)で、江戸時代の古い図には石段を登った右にやや大きな番所があった。両側に部屋が付いた2階建ての、大きな門で三十人組と呼ばれる番人が守っていたといわれる。




















この門には奥州白河藩主松平定信が揮毫したという「兼六園」の扁額が掲げられていた。藩政期にはこの扁額は、門の内側に掲げられていた。現在は石川県立産業工芸館に展示されている。以前「兼六園」の名前を付けたのも松平定信といわれていたが、疑問点がいろいろあることから、現在、まだ誰が名前を付けたかはっきりしていない。










「こども金沢市史」より









石段の右手には「特別名勝兼六園」の石標が建てられている。(昭和61年3月建立)
現在、特別名勝・大名庭園としては、岡山の後楽園、高松の栗林公園など7つが指定されている。