2015年9月19日土曜日

加賀本多博物館 本多水族館

「石川県立歴史博物館」の建物と並んでいる「加賀本多博物館」に行った。




















今回は、ここで「加賀藩御用絵師 6代梅田九栄が描いた二つの魚図集」という題で講演会があるということで、本多水族館とはどんな話なのかと思って来た。講師は京都大学名誉教授の中坊徹次先生です。


























江戸時代の加賀藩御用絵師 6代梅田九栄の魚絵図は11代藩主治脩の命よって越中の魚津に行って描かれたものである(1783~84年)。その背景にあるのは、5代藩主綱紀が本草学者である稲生若水によって動植物・鉱物などを分類、編集した「庶物類纂」を手がけたが、後に徳川吉宗に引き継がれ、内山覚仲によって日本各地の動植物、鉱物、農作物が調査、記録された。これが江戸中期の各藩の博物学流行の火付けとなり、加賀藩では魚絵図が描かれるようになったのではという。




















この絵図は、梅田家が所蔵している「梅田絵図」と本多家が所蔵している「本多絵図」がある。「梅田絵図」は6代梅田九栄が実際の魚を見て描いたもので、「本多絵図」は「梅田絵図」を基に九栄がアトリエで描いたものか、弟子たちが描いたものと思われるという。
「本多絵図」はすべて彩色されているが、「梅田絵図」は一部無彩色のものもあるという。




















ここに描かれている魚はすべて採集時期と場所がはっきりしていて、現代の魚類学から見ても資料として価値があるという。
また、魚はすぐ腐るから鮮度との戦いで、形も色も変わってしまうので魚を描くためには時間がかけられないとともに画家には、短時間での洞察力、描写力、記憶力が必要とされたという。現代の人のように写真があるから、後からゆっくり見て描くわけにはいかない。




















実際に展示されている絵図を見たが、立体的に見え非常にリアルの描かれていて江戸時代の絵図とは思われなかった。また、絵画のことをよく知らない私にとっては、現代は絵の具で簡単に色を出せると思うが、江戸時代はどんな材料で、どうやってその魚とそっくりの色を出していたのかや、また、水深100m以上の魚も描かれているというから、その頃深い所の魚をどうやって獲ったのかなど不思議に思うことがたくさんあった。








































梅田家の初代与兵衛は1649(慶安2)年に江戸で狩野尚信に師事し、狩野家より、口伝と画法を伝授され、延宝年間(1673~81)に金沢に戻ったという。
6代九栄がもっとも有名で、10代藩主重教の肖像画や下図の作品などを残している。また、8代九栄は金沢城二ノ丸御殿に襖絵などを描いている。明治に入って、11代は石川県立工業学校で指導をした。










「ふるさと偉人伝」より

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