2013年12月17日火曜日

寺町通り右側界隈

前回に続いて寺町大通りの向かい側を 野田方面から広小路方面に歩いた。
まず「妙法寺」があるが、ここの開基の円智院妙浄法尼は前田利家の弟の佐脇良之の息女で、生母はあの秀吉の愛妾淀君の乳母であるという。良之が亡くなった後、利家とまつに養女として育てられた後、まつの縁戚の篠原一孝の室となった。
ここに円智院の肖像画や利家から拝領した七条架裟や鬼子母神木像がある。




















次に「立像寺」に入った。ここは2代藩主の前田利長の移動とともに何度か場所を移動していて、利長が金沢城主になってから金沢に建てられた。




















境内の右手には江戸時代に活躍した能登出身の6代横綱だった阿武松緑之助の立派な墓があった。




















この墓の横には元禄年間に建てたという古めかしいが立派な二階建ての鐘楼があった。




















高山右近の「キリシタン灯篭」があると聞いていたので、裏の墓地を歩いたが見つからなかった。やはり知っている人と歩かないとなかなか見つからない。寺内には保育園が併設されていて子供たちのにぎやかな声が聞こえた。

その隣には、以前は寺院であったと思われるが、現在は「金沢鐘声園」となっている。中には雪吊がしてある木など手入れの行き届いたきれいな庭があった。寺町のお寺巡りの際の休憩スポットに利用されている。








































ここは「重要伝統的建造物群保存地区」であるから、荒れ放題では困るので金沢市が買い取って手入れしているのであろう。

寺町五丁目の交差点の角には「大円寺」がある。ここは寛永年間に大阪夏陣で戦死した父の供養で建立されたという。3代心岩作の「人骨地蔵尊」は誰にも拝まれない人骨を哀れみ、顔、体や手足に人の骨を砕いて塗りこめたという高さ4mの地蔵尊があるということで見たいと思ったが、玄関にカギがかかっていて人が誰もいなく、残念ながら中に入れなかった。ここはやはり予約をしたほうがよさそうである。








































次に通りを渡って「伏見寺」に行った。




















ここは金沢の地名発祥にまつわる芋堀藤五郎ゆかりの寺で境内の左側に岩山を模したような藤五郎の墓があった。




















お寺の戸が少し隙間が開いていたので覗くとスッーと戸が開き、中から住職が現れて「どうぞお入りください」と言われたので、中に入り拝観料を払い説明を受けた。




















ここにある本尊の阿弥陀如来像は平安時代の金銅仏の力作であり、国の重要文化財である。寺内はカメラ禁止と言われたので残念ながら紹介できない。その他護摩堂にある木彫りの不動明王坐像も西暦800年代の作というから古い。ここにも多くのお宝があった。

寺町寺院群は北陸新幹線開業に向けて観光客を呼び込もうと活性化策を検討していこうという取り組みが広がっているようである。金沢でも一番多い約70の寺があり、京都や奈良の寺巡りのように多くの人を呼び込む力を持っている。ぜひ活性化を成功させてもらいたいものである。

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