2013年12月22日日曜日

辻家庭園

今回は市民講座の「金沢学」で寺町1丁目にある「辻家庭園」に行った。「金沢学」は毎月1回北国新聞社の大ホールなどで、今年は「ふるさとの偉人」についてのテーマで講座があり、毎回参加している。特に今回は新しくリフォームされた「辻家庭園」が見れるということでわくわくしながら参加した。
まず隣にある金茶寮の大広間で辻家の主人から「辻家庭園」についての説明を受けた。この人は私の友人とテニス仲間であると聞いていたので親しみを感じた。








































「辻家庭園」は加賀藩家老の一族の横山隆興が別荘兼迎賓館の庭園として明治後期から大正時代の初期に作ったという。当時、横山家は尾小屋鉱山での銅の産出により莫大な財産を残し、「金沢は横山で持つ」と言われたほどだったという.
その後、尾小屋鉱山の経営にゆきづまり、この庭園も売却に出され、残念ながら現在は庭園の中心部しか残っていない。もし当時のまま残っていれば兼六園と並ぶ名所になっていただろうという。ここはその後、小倉家に渡り、戦後辻家が買い取ったという。
この庭園は、建設当時の最先端国である英国の影響を受けたという。庭園を設計したのは、近代日本庭園の傑作と言われる東京の椿山荘や古河庭園を手がけた京都の庭園師の7代目の小川治兵衛であるという話を聞いた。

続いて我々は場所を辻家庭園に移った。




















辻家の母屋には「群青の間」があり、壁がコバルトブルー(群青)に仕上げられていた。今回はじっくり見れなかったのでカメラを撮るのを忘れてしまった。アフガニスタンでしか採れない「ラピラズリ」の粉末を使う絢爛豪華なものだという。もう60年前に塗られたというがまったく色あせていなかった。
ここからは犀川や遠く戸室山や医王山が見える絶好のロケーションだ。天気が悪かったので、今回はできたばかりの結婚式場に通じる渡り通路からガラス越しに庭を見た。
ここの庭は紅葉のころが一番きれいだと言っていた。もう1ヶ月前に来ればよかったのに残念だ。




















ガラス越しに富士山の溶岩を大量に使ったという滝を見ることができた。また、特に溶岩の下は鉄筋コックリート工法で、金沢では最初のものであるという。滝の下方の小川も人工であるが、いかにも自然な流れのように見える。この滝の水源はもと長坂用水からであったが、今は遮断していてポンプで循環しているとのことであった。この辺は木々が生い茂り、とても町の中にいるとは思えなく深山の趣がある。




















今回新しくできた結婚式場の中は見れなかったが、全国的に有名な会社の「ノバレーゼ」というところがやっている。もうすでに2~3ヶ月先まで予約が埋まっているという。金沢に新たな趣向を取り入れた結婚式場にとなるであろう。
辻家庭園は今まで非公開だったが、今後、一般公開されいつでも入れるという。きれいな庭園を眺めながら、抹茶とお菓子を食べられるコーナができ、今後金沢の新しい観光スポットになるであろう。




















続いて金茶寮の大広間に戻り、横山家の一族である石川郷土史学会幹事の横山方子(まさこ)さんから加賀八家のひとつである横山家の系図についての説明を受けた。




















横山家の2代長知(ながちか)は前田利家が亡くなってから、利長が徳川家康より謀反の疑いを受けた際に家康の下に行き疑惑を晴らし加賀藩を救ったことや、3代康玄(やすはる)は利常が幕府から謀反の嫌疑を受けた時に弁明に赴き、危機を逃れたことを聞いた。
明治になって、横山隆興が甥の13代隆平とともに尾小屋鉱山を拓いた。隆興はもと備中町(横山家の家中町)に住んでいたが、高岡町に移ったことや大手町に横山鉱山部があったことなどを聞いた。鉱山部の建物は昔の金沢の写真集で見たことがあるが非常に立派なものだった。

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