北斎・広重展(1)北斎という人物 風景画の続きで、次に北斎の作品でもっとも有名な「富嶽三十六景」について見ていく。
「富嶽三十六景」古くから霊山として崇拝された富士山を、様々な場所からとらえた風景画であるが、その中で最も知られる下図の「神奈川沖浪裏」のイメージは世界中の様々なものに登場し、日本という国のアイコンというかシンボルとも言える存在である。
「神奈川沖浪裏」は、うねるような大きな波と、その波にもまれる三艘の小舟は、今にも乗り込まれそうで、船上の漁師たちは、ただ必死にしがみつくばかりである。真ん中に小さな富士山が整然としたたたずまいを見せる。この「神奈川沖浪裏」の図は、波がしぶきをあげながら高くせりあがった一瞬をとらえる大胆な構図は、見る者を圧倒する。
下図は紅く染まった富士が描かれていることから「赤富士」と呼ばれている。赤富士とは、晩夏から初秋にかけての早朝に、甲斐国(山梨県)側から見た裏富士が、朝日を浴びて真赤に見える現象である。富士の雄大さや、刻一刻と山肌が太陽に照らし出されている様子から、富士山のみなぎる力強い生命力が伝わってくる。
尾張国(愛知県)の富士見原は名護屋城の南方にあり、景勝地として知られた。図は大きな桶を作る職人を近景に描き、その桶の内側から富士をのぞかせている。よく見たことがある絵である。
信濃国(長野県)の諏訪湖の北岸より遠く富士を望んだ図で、藍を主体に摺られている。近景に完璧の上に祠を大きく描き、手前にV字型の伸びる樹木を配す。奥行きのある湖面には1艘の漁船。遠景の富士山も存在感がある。湖の中ほど左に見えるのは「浮城」の異名を持つ「高島城」である。
「鰍沢」は、甲斐国(山梨県)西部を流れる笛吹川と釜無川が合流する辺りの地名である。川岸の岩の上では漁師が投げ網をたぐり、子供が魚籠の中を覗き込んでいる。川筋の向こうにうっすらと富士山が見える。
牛堀は常陸国(茨城県)にある霞ヶ浦に接した水郷で、画面手前にある苫舟には、水上生活者の営みが描かれている。男性が船の上から何か水を投げ入れると、二羽の鷺が飛び立っている。葦原の向こうに富士山が悠然と佇んでいる。
相州梅沢庄(神奈川県梅沢町)は、東海道大磯宿の西側に位置し、海と山に囲まれた土地である。川のほとりに5羽の鶴がたむろしている。そのうちの1羽が空を見上げて、くちばしを開いて鳴き声を上げている。別の2羽が富士山に向かって空を舞う。
浅草にある東本願寺の大屋根の一部を、クローズアップして描いた面白い構図である。屋根の上には瓦職人が作業中である。眼下には江戸の街並みが見え、井戸掘り用の櫓が立っている。はるか遠くに富士山が見える。雲の間から一筋の糸が伸び、凧がゆったりとそれを舞っている。
日光街道の最初の宿である千住へ向かう大名行列が進んでいる。田んぼの畦道に座る二人の農婦が、それを見ている。田んぼの向こうに描かれている建物は吉原遊郭で、さらに向こうに富士山陵が見える。
身延山久遠寺の参詣者でにぎわう身延道を描く。峻険な山に囲まれたこの地を流れる渓流は身延川、あるいは富士川と言われている。切り立つ山の隙間から富士山が見える。
富士山の険しい山中を登山者が登っている。彼らは富士講と呼ばれる富士山を霊峰として信仰する信徒である。岩肌を必死によじ登るものもいれば、登山道でうずくまるものもいる。右上の石室には、多くの登山者が体を寄せ合うように休息をとっている。
東海道金谷名物の大井川の川越しで、人足に肩車で担がれた旅人たちは落ちないようにじっとしている。その向こう側には、人足たちが大きな荷物や駕籠に乗ったままの人を被いて、威勢の良い掛け声をあげながら渡っていく。











