2025年9月15日月曜日

上高地(1)平湯~河童橋~明神池

8月の末に、毎日異常な暑さから、少しは涼しいところに行きたいと思い、「上高地」に行った。「上高地」私の思い出がある所でもあり、自然が豊かな場所で好きな場所でもある。

「上高地」へは、これで4回目になるが、最初に行ったのは学生時代で、7人の仲間と「徳沢園」で1週間キャンプをしたことで、若い時に行ったこのキャンプは非常に楽しかった記憶に残っている。 

今回は、福光から高速に乗り、約2時間20分くらいで、「平湯バスターミナル」に着いた。



















平湯の駐車場は平日なのでそんなに混んでいない。土・日はどれくらいなのだろうか?

ここから「上高地」行きのバスに乗り換え、「釜トンネル」を通って「上高地」に入るしかない。一般の車両が入れなく「上高地」のきれいな自然が保護されている。



















途中に木陰の向こうに見える建物は、「帝国ホテル」である。前回は「大正池」でバスを降り、ここから歩いて「田代池」付近の湿地帯を通り「上高地帝国ホテル」の中に入って、コーヒを飲んで一服した記憶がある。


















バスを降りて「河童橋」付近に来ると、相変わらず多くの人で賑わっていた。ただその向こうに見えるはずの「穂高連峰」は雲がかかって、残念ながら見えない。


















「河童橋」の下を流れる「梓川」は、いつもながら非常に透き通っていてすばらしい。今年も夏は猛暑続きで暑かったので雪解け水か分からないが、相変わらず薄エメラルドグリーンのきれいな流れである。


















「河童橋」は「上高地」のシンボルとなっているが、その歴史は不評で、名前の由来についても分かっていない。「河童橋」付近は、「上高地銀座」と言われるくらい人が多く、普段着の人や登山スタイルの人たちが入り乱れていて、人気スポットである。梓川の上流側には、登山家の穂高連峰が、下流には焼岳の姿が美しい場所である。
































穂高連峰ついて、それぞれの山々の名前が描かれていた。一度は登りたかったがもう無理である。


















「河童橋」を超えて左に曲がって歩くと、六百山を望む岳沢湿原がある。


















このあたりの水の流れは緩やかで静かである。水の中に入った細い木々がまっすぐ伸びて、この雰囲気もなかなか素晴らしい。


















湿地帯には川の姿がいろいろ様子が見える。


















途中に幹部分が大きく割れて、その中には何か成長している様なものが見える珍しい木があった。
























「明神池」の方向の遊歩道を歩きながら、森林浴をを楽しむ。こういう静かな雰囲気の所を散策するのは昔から好きなので、また来たくなる。


















また木々の間から流れる川は「梓川」の支流の「清水川」が流れている。所々に水の流れがあり、これもまた雰囲気のある所である。こちらの水も清らかできれいな流れである。





















2025年9月10日水曜日

家紋展 くらしの博物館

 今回は、「くらしの博物館」で「家紋」展をやっていたので見てきた。

























場所は飛梅町にある「くらしの博物館」で、ここは「旧金沢第二中学校」の校舎だったところで、明治に建てた学校校舎がそのまま残っていて「重要文化財」となっているレトロな建物である。
























江戸時代の平和な時代になって流行った「武家の家紋」について説明板があった。














前田家の家紋は「梅鉢」であるが、家が増えるにつれて種類が増えている。下図は梅鉢が変化したものの一部である。




































この梅鉢も昔は中心部の「オシベ」が短かったが、後に剣形が特徴になったため「剣梅鉢」と呼ばれるようになった。分家はこの「剣梅鉢」の一部を変えたり、囲いを付けるなどして家紋が増えていった。





































家紋の歴史は平安時代の後期からとされ、貴族が調度品などに好みの文様を付けて、識別したという。鎌倉時代には、武家の戦いで敵味方の区別するために使われ取り入れられ、広まっていった。江戸時代には、参勤交代た登城で識別するために着物や道具にも使われた。この時代に多くの家紋が使われ、現代に引き継がれている。
下図は12代藩主前田斉広着用の裃(かみしも)
























提灯や提灯箱にも描かれている。



















旗源平の旗には「源氏」や「平家」の家紋が。



















家紋の工程には、いくつかあるが、「型を作る」には、金沢では「渋紙」を使い、下絵を描いて、小型で彫り、刃は時計のゼンマイを切って研いで自作するという。



















型紙に塗料を小刷毛で刷りこむ。塗料を定着させるために、火鉢の上に置いてヤカンの蒸気で蒸す。

































紋章展のために制作された「加賀紋・子供縫紋構図」が展示されていた。



















「金沢和傘」に金沢市のき章が描かれている。きれいな振袖?にも紋章が入っている。
























「尾古屋銅山」の経営に成功した「横山隆興」の家紋は、加賀八家の分家なので「卍」に囲いのついた家紋である。
























「タカジアスターゼ」や「アドレナリン」を発見した「高峰譲吉」は、八つの矢羽を図案化した「八本矢車」の家紋である。野町にある高峰家の菩提寺の屋根瓦に用いられている。
























金沢の三文豪の一人の「泉鏡花」は、香木の香りを楽しむ香道の「組香」の一つで、「紅葉賀」(源氏構図」の家紋で、鏡花が着用していた羽織に「紅葉賀」が入っている。



















2025年9月5日金曜日

突然大雨の金沢城

 最近は、毎日が35度近くの猛暑で、外を歩くのも大変だが、突然の豪雨にも見舞われる。先日は金沢城に行った時に豪雨になり、これからは雲行きが怪しくなったらいつでもすぐに使える傘の用意をしなくてはならない。

まだ晴れているうちの金沢城二の丸
























ピンク・白色の「百日紅」が鮮やかに咲いていた。

































「極楽橋」前には、「金沢御堂」の案内板があった。「金沢御堂」のことはあまりよく知らないが、堀切や土塁を構えた城郭寺院であったとは知らなかった。


















金沢城は「石垣の博物館」と言われているほど様々な石積みが見られるが、特に「三十間長屋」の建物の下の「金場取残積み」の石垣は非常にきれいに見える。


















トイレに入っている間に突然豪雨が来た。ここで20~30分雨が弱まるまで待った。
























































「三十間長屋」の裏から見た玉泉院丸庭園・尾山神社方面












































雨が上がった後、じっくり「二の丸御殿」の復元工事中の様子を見ると、玄関の屋根部分の建設のためのものか、かなり高い構造物が立っていた。

2025年9月2日火曜日

志賀高原・草津温泉・善光寺(6)善光寺②

 志賀高原・草津温泉・善光寺(5)善光寺①の続きで、さらに「善光寺」内を見る。

「山門」の2階から見える建物は「大本願」で、善光寺天台宗寺院25ヵ院の本坊である。

「善光寺」に関する貴重な史料を展示する宝物館や庭が見どころだという。



















こちらからは、緑の木々に囲まれた「経蔵」や「日本忠霊殿」の三重塔が見える。さらに遠くには山並みが見える。





















「山門」の正面には「本堂」がある。
善光寺は約1400年の歴史を持つ古刹である。525年に伝来したわが国最古の仏像が拝仏派の物部氏によって捨てられたが、約100年後に信濃国司の従者の本多善光が仏像を持ち帰って祀り、その後極天皇の勅願により如来堂が建立され、善光寺が誕生したという。
善光寺創建のきっかけとなった仏像は一光三尊阿弥陀如来像といい、現在は本尊として本堂の祀られている。絶対秘仏のため開帳されず、住職ですらその姿を見ることはできない。
鎌倉時代には善光寺信仰が全国的に広まり、多くの参拝者で賑わった。そして江戸時代には、一生に一度参拝すれば極楽往生が叶と信ずる人々が善光寺に殺到。さらに本尊の分身仏が出向く出開帳が行われ、善光寺はますます加熱したという。



















善光寺信仰の熱狂ぶりは、現在も御開帳という儀式からうかがえる。御開帳とは、本尊の分身仏「前立本尊」を本尊に迎える盛大な行事で、数え年で7年に1度行われる。
本堂の前に高さ約10mの回向柱(えこうばしら)が立てられ、「善の綱」で本堂の内々陣に鎮座する前立本尊と結ばれる。回向柱に触れると、前立本尊に触れるのと同じご利益が得らるといわれている。そのため多くの参拝者が行列になって回向柱に触れようとする。

















本堂の前で、お金を入れてお参りして線香を買って火をつけて、大きな香炉の中に入れた。


































本堂の平面図で、印が「瑠璃檀」で、黄土線が回廊の道
























本堂内部は、カメラ禁止だったので雑誌から紹介する。下図の「御三卿の間」の右端の「瑠璃檀」に絶対秘仏である本尊の阿弥陀如来を安置している。私らが本堂に入った時に特別にちらっとだけ「瑠璃檀」の目の幕が開かれた。























本堂の内々陣の床下にある真っ暗な回廊を手探りで進んでいく体験ができる。回廊は真っ暗で、どんなに目を凝らしても見えないので、横の壁を伝いながらゆっくり進むしかない。下図はその入口である。十数年前に善光寺に来た時は、ここに入ったことだけが記憶に残っている。





















続いて本堂を出て「経蔵」に入った。この建物は正面、奥行きともに正方形で隅棟がすべて屋根の頂点に集まった四つ棟宝形造りで、1759(宝暦9)年に建立されて重要文化財となっている。この中の輪造を一周回すと、すべての経典を読んだと同じ功徳を得ることができるということで、みんなで回してきた。これは金沢の「西別院」や「円長寺」にもある。




















「経蔵」前にある「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた石車を回すと、お経を唱えたのと同じ功徳が得られらるという。
























続いて三重塔の建物は礼拝堂と3階建ての霊碑堂からなり、高さは42.5m。戊辰戦争以降の240万余柱の英霊が祀られている。