北斎・広重展(2)北斎の富嶽三十六景の続きで、次に北斎の「画凶老人卍期」つまり80歳になってから信州の小布施に4回通って描いたという絵が気になったので調べてみた。
信州小布施の富豪高井鴻山の依頼で作品を描こうということで、1845(弘化2)年より小布施に旅行に出かけている。そこでは上町・東町の二基の祭屋台天井に北斎が描いたものが4面ある。
下図は東町祭屋台で、北斎が天井絵「龍」と「鳳凰」を描いたものである。
北斎・広重展(2)北斎の富嶽三十六景の続きで、次に北斎の「画凶老人卍期」つまり80歳になってから信州の小布施に4回通って描いたという絵が気になったので調べてみた。
信州小布施の富豪高井鴻山の依頼で作品を描こうということで、1845(弘化2)年より小布施に旅行に出かけている。そこでは上町・東町の二基の祭屋台天井に北斎が描いたものが4面ある。
下図は東町祭屋台で、北斎が天井絵「龍」と「鳳凰」を描いたものである。
北斎・広重展(1)北斎という人物 風景画の続きで、次に北斎の作品でもっとも有名な「富嶽三十六景」について見ていく。
「富嶽三十六景」古くから霊山として崇拝された富士山を、様々な場所からとらえた風景画であるが、その中で最も知られる下図の「神奈川沖浪裏」のイメージは世界中の様々なものに登場し、日本という国のアイコンというかシンボルとも言える存在である。
「神奈川沖浪裏」は、うねるような大きな波と、その波にもまれる三艘の小舟は、今にも乗り込まれそうで、船上の漁師たちは、ただ必死にしがみつくばかりである。真ん中に小さな富士山が整然としたたたずまいを見せる。この「神奈川沖浪裏」の図は、波がしぶきをあげながら高くせりあがった一瞬をとらえる大胆な構図は、見る者を圧倒する。
下図は紅く染まった富士が描かれていることから「赤富士」と呼ばれている。赤富士とは、晩夏から初秋にかけての早朝に、甲斐国(山梨県)側から見た裏富士が、朝日を浴びて真赤に見える現象である。富士の雄大さや、刻一刻と山肌が太陽に照らし出されている様子から、富士山のみなぎる力強い生命力が伝わってくる。
石川県立美術館で浮世絵の「北斎・広重展」をやっていて、非常に興味があったので9月の末に見に行った。
猛暑から最近はだいぶ涼しくなったので、今回は時々散歩で行っている「大乗寺丘陵公園」の風景が秋の気配を感ずるようになったので紹介する。
ここの公園の散歩道は多少の傾斜があり、私にとってはちょうどよい起伏である。その時の体調によって長さなど自在に調整できるので利用しやすい。