今回は、時期になったら最近いつも行っている 「桃の直売」の店桃を売り出すということで、家のものと近所の人を乗せて、大桑にある店へ行った。9時30分から整理券を出すということで、8時40分に着いたが、既に多くの人が行列についていた。
2025年7月29日火曜日
大桑日吉神社
2025年7月23日水曜日
高尾城跡 コジョウ発掘調査説明会
以前に「守護富樫氏」が築いた山城について私自身が資料などを読んで調査したことがあり興味はあったが、市が史跡指定に向けて発掘調査した説明会が「扇台公民館」であったので聞きに行った。今回は、昔、富樫氏が支配していた地域の伏見台、扇台、額校下の住民50人くらいが参加した。
高尾城跡は加賀の一向一揆衆たちと富樫氏が戦った舞台となったところで、この戦の後、日本歴史上珍しい加賀は一向一揆衆たちが約100年も支配したということである。
前回のこのブログでも説明したように、この戦の主要な場所である「ジョウウヤマ」は、ほとんど崩されてしまっているので、今回の発掘調査は「コジョウ」付近を中心に行われた。
以前の「高尾城跡」のブログ
https://kanazawa-burari.blogspot.com/search?q=%E9%AB%98%E5%B0%BE%E5%9F%8E%E8%B7%A1
コジョウはジョウヤマの高尾城址見晴台から約100m背後にある。ジョウヤマの曲輪は半分削られているのでよくわからないが多分コジョウの曲輪より広かったと思われる。ここからコジョウに行くには、すぐに北堀切があり、尾根道を通ってコジョウの主廓に入る。ここは標高186mで、約500m2の平坦部が広がっている。このジョウヤマとコジョウはどうゆう関連性があったのか質問があったが、よく分からないらしい。コジョウの北東方向に幅15m、長さ50m、深さ7mの大きな「東内堀切」、「曲輪」、「東外堀切」と続く。また、南方面には幅20m、長さ35m、深さが6mの「南堀切」がある。
下図はコジョウ主廓の平坦部
2025年7月18日金曜日
金沢の昔のくらし くらしの博物館
「くらしの博物館」での企画展「金沢の小学校」を見た後、常設展示されている「金沢の昔くらし」について引き続いてみる。
金沢の昔ながらの高級なお座敷にこの赤い「紅殻色」の壁の部屋がある。特に「お茶屋さん」のお座敷は、この「紅殻色」が多い。他に金沢独自の「群青の間」のお座敷は最高級のおもてなしをする部屋として使われている。
桐のタンスは、金沢では花嫁が嫁入り道具として持ってきたので、昭和初期あたりまで各家によく見られた。
2025年7月14日月曜日
金沢の小学校 くらしの博物館
今回は、飛梅町にある「金沢くらしの博物館」で、「金沢の小学校」の企画展をやっているということで見てきた。
現在の金沢観光の立役者の「山出保さん」の建てた石碑が建っていたが、山出さんは、この「金沢第二中学校」の卒業生だったと記憶している、
青い目の人形歓迎式 昭和2年(1927)