2024年6月8日土曜日

敦賀ドライブ(1)気比神社①

 今年の4月に「北陸新幹線」が敦賀まで延伸され、新幹線に乗って敦賀まで行きたいと思っていた。しかし敦賀までの新幹線の値段がかなり高い。これでは、大阪、名古屋の人たちが北陸に来るのに、敦賀で乗り換えるだけでなく、従来より運賃が高くなっているので不満があると聞いている。

今回は、敦賀まで新幹線はやめて、車で高速道路を使って行くことにした。午前8時40分頃に自宅を出たが、「敦賀駅」に着いたのは午前10時15分にくらいで、1時間半ちょとで着いたことになる。

「敦賀駅」付近をまず見物しようとしたが、本日は日曜日で駅前の大通りが「歩行者天国」になっており「舞台」でいいろなイベントをやっており、多くの人がいた。それで駅前付近は駐車場が全くなく、「気比神社」に行くことにした。

駅から海側に少し走ると、「官弊大社気比神宮」の大きな石柱が立ち、その背後に大きな朱色の鳥居が見えてきた。



















高さ10.9m、柱間7.27m、本朱漆塗り木造両部型鳥居で、春日大社、厳島神社とともに三大木造鳥居として知られている。主柱の上に大輪という円形の台があり、黒漆で塗られている。また、鳥居を挟んで前後に2本、稚児柱という支柱があり、その柱の上には薄緑色の笏谷石が載せられている。
旧神領であった佐渡島の鳥居ヶ原から伐採され奉納された「むろの樹」を用いており、1645(正保2)年に現在の地に建てられた。明治34年に旧国宝となり、現在は重要文化財に指定されている。正面の「気比神宮」の扁額は、有栖川熾仁親王の御染筆である。


















大鳥居をくぐるとすぐに末社、祭神 猿田彦大神が鎮座した「猿田彦神社」がある。気多大神の案内をされる神社である。一般に庚申様と唱えて信仰が篤い。

そのすぐ横にある「長命水」は、702(大宝2)年新宮造営中に突然湧き出したと伝わる1300年以上の歴史を有する名水である明治42年に東宮殿下(後の大正天皇)ご参拝の折、お茶の水の用いられた一井がその由来を語る。現在でも縁起の生命の水として地元氏子より親しまれている。



















「社務所」は格式のある総木造の立派な建物で平成23年に新築された。


















南北朝争乱時代の1336(延元)元年当神宮宮司気比氏治が南朝後醍醐天皇を奉じ気比大明神の神旗を掲げたという「旗掲げの松」金ケ崎城を築いて足利氏にに対し奮戦したものの、一門ことごとく討ち死んだ。今でも旧根が境内に残っている。
































この神社の歴史は古く、仲哀天皇(増歯第14代)の御代、天皇皇后ご即位後まもなく行幸啓になり、気比大神をご神拝、大神とのご縁深き理由により702(大宝2)年に合祀、後に他朝廷御関係の神々を併せ計七柱の増祀された。そして国家神として役割を担い、北陸道総鎮守社の大社として広く仰がれることとなった。当神宮の創始については定かでないものの、その歴史は古く二千年を超えるといわれている。


















外拝殿の奥に内拝殿、本殿と続く。














































境内の西方に位置して、ご本殿を向いて九社の神社が鎮座する。古来より気比大神の御子神
等関係の神々をお祀りする社として崇拝され、九社の宮として知られる。


















そのひとつの「擬領神社」、他に「鏡神社」や「金神社」、「剣神社」などが並んでいる。