2020年12月9日水曜日

金沢城二の丸遺構の現地説明会

今回は、金沢城の二の丸御殿の再現準備としての遺構調査の一般公開と説明会があったので見に行った(12月5日)。兼六園や街中の公園などの紅葉はほとんど終わっているが、金沢城内の楓の紅葉が非常にきれいだった。





































ひどい雨が降ったりやんだりの悪天候であったが、多くの人が来ていた。ほとんどは地元の人だと思うが、興味がある人が多いのだなあと思った。

二の丸の五十間長屋に近い部分には発掘された部分が開かれていた。












早速、金沢城調査会の木越所長のあいさつなどの後、今回の発掘調査部分と昭和44年度発掘調査の部分の説明があった。




















この二の丸は明治14年に火災で焼失したが、その後も陸軍の兵舎があり、戦後は金沢大学の建物があった。ここも変遷しているので、二の丸御殿時代の遺構がでてくるか不安だったという。



















今回の発掘エリア(第1地点)では、現地表から約1m下位で明治14年の火災で廃絶した御殿の地盤が検出された。建物の柱を支えた礎石は撤去されていたが、礎石を安定させるための戸室石や川原石などが混じった石が詰められた部分が出てきたという。今回に発掘場所は、二の丸の「表式台」北辺及びその北側の「広縁」北辺だと考えられるという。



















上図の赤い四角の部分



















火災後の御殿再建に関わる「御造営方日並記」には、表式台や虎の間、竹の間などのおいて「四尺六方(幅・深さ約1.2m)」の穴を掘り、栗石を入れて搗き固め、礎石基礎としたことが記されている。その遺構が見つかった。
























その遺構の位置と絵図



















他に排水用の舛や石組み溝など見つかっている。



















続いて昭和44年度発掘の二の丸御殿の遺構を見た(第2地点)、(第3地点)。表向き主要部と台所の境にある所の「くぐりぬけ階段」で、廊下の床下をくぐり抜けて、中庭に出入りした通路である。非常に小さい感じがした。




























「石室」には漆器椀や大量の瓜の種が出土していたという。

















表向きと御居間廻りの境には、排水施設としての石製樋と「溜」(枡)が検出されている。



















二の丸御殿の再現は「表向き」からと聞いているが、発掘調査を早く進めてもらい、できるだけ着工を早く始めてもらうことを願っている。