2019年2月10日日曜日

中橋町、長田町界隈(1) 中橋 旧古道、旧大隅町

今回は、中橋町、長田町界隈を歩いた。まず「六枚町交差点」から「金石大通り」方面へのすぐ脇に斜めの通りがある。ここを入っていくと「鞍月用水」に架かる「古道橋」を渡り、その先の左側に「大衆割烹 喜乃屋」という店がある。ここは去年の暮れに私が以前やっていたテニス仲間の忘年会があり参加したところだ。料理は「カニ」なども出てリーズナブルで結構おいしかった。



















その店の横の小さな公園に「旧古道」の標柱が建っている。「金沢城下から宮腰(金石)へ通じる古い道であったが、元和2年新しく往還ができたので、新道に対して古道と呼んだ。」とあった。
























そこから路地を通り「金石大通り」に出ると「中橋の高架路」に出る。今でこそ立派な高架路となっていて交通の混雑は少なくなったが、私が知っているだけでも3回変わっている。



















私が小学生の頃は「中橋踏切」となっていて遮断機があり、その横に階段を上がる高い歩道橋があり、歩道橋の上から黙々と煙を出して走る「蒸気機関車」をよく見に行った記憶がある。「シュッシュッ」と独特の音を出して走り、近くで「ポー」汽笛が鳴るとその大きさにびっくりしたものだ。下の写真は歩道橋が見えないので、中橋ではなく近くの踏切か?



















戦後の高度成長期に入ると交通量が増え踏切の遮断機が降りたままの時間が多くなり、駅西方面と市内中心部を結ぶ交通のネックとなり、1959(昭和34)年に「中橋陸橋」ができた。この陸橋は自動車専用道路で、歩行者や自転車は地下道を通った。しかし陸橋は両側の道路より車線が狭く、次第にまた交通渋滞になった。



















高架橋の近くに「中橋陸橋の跡」の石碑が建っていた。この陸橋の変遷が描かれているようであるがよく読めなかった。



















その石碑の横に「筋違町」の標柱が建っている。「鞍月用水に斜めにかけられた橋をすじかい橋といい、この名が町の名になった。はじめすじかい橋町ともいった。」とあった。
























「金石街道」を高架路をくぐった左手に「きふじん」という玄関前に「金澤うなぎ、どじょう」ののぼり旗が建っている店があった。入り口の上に蒸気機関車の「C5739」の看板が付けられていた。(実際に使われていたものだろう)「中橋」を昔、蒸気機関車が走っていたので付けたのだろう。私は「うなぎ・どじょう」のかば焼きが大好きであるが、一度は行ってみたいものである。



















その裏側は藩政期からの道であろうか細い道である。



















その道の脇に「旧大隅町」の標柱が建っており、「加賀藩の老臣、長大隅守の家臣が、寛文期に能登から移り住んだところで、新(荒)屋敷、新家中と呼ばれていたが、明治になってこの名がついた。」とあった。