2018年1月9日火曜日

出初式 加賀鳶 2017(1)

長年金沢に住んでいるが、今までなかなかチャンスがなく、今回初めて「出初式」を見ることができた。「出初式」では、呼び物の加賀鳶の「梯子登り」や「一斉放水」を見れると思い、わくわくして行った。



















「出初式」は、1月の第1週の日曜日に開かれているが、今年は1月7日に金沢城の新丸広場で行われた。昔は犀川河川敷で行われていたが、2003年より金沢城公園に移った。そういえば、昔、東京にいる頃に、この時期に全国ニュースで、犀川河川敷での「出初式」の様子を放映していて、金沢を誇りにしていたのを思い出す。
午前10時から開かれるが、30分前に会場に着いた。
お堀通りから会場を見ると、既に多くの消防自動車や消防隊が待機していた。


































「出初式」は、今から350年前にの1659(万治2)年に4代将軍「徳川家綱」が、幕府の定火消に火消しを高めるため、上野東照宮前で行ったことが始まりといわれている。また、「加賀鳶」は金沢の義勇消防のことで、江戸時代は加賀前田藩が江戸藩邸で抱えていた大名火消で、中でも特異な装束と威勢のよさ、見事な火消し活動で名高い存在だったという。1718(享保3)年に8代将軍徳川吉宗が江戸藩邸の火消しの強化を命じ、加賀藩5代綱紀が上屋敷の自衛消防隊を強化したのが始まりで、今年でちょうど300年の節目になるという。



















「加賀鳶発祥から300年」の看板が掲げられていた。「梯子登り」は、江戸時代に火消が火災現場で高い梯子を立て、火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことがきっかけで、さらには高所での作業を行うための訓練や度胸勇気を付けるために行われたといわれている。



















ようやく式典が始まり、約50分団、消防団員約1170人が勢ぞろいした。



















約50分団の消防隊は、金沢市内の旧小学校の学区である「校下」で分かれていると思っているが(?)。また、「出初式」を盛り上げる「纏」は、梅鉢をかたどった金箔を施された豪華なもので、これを作っていた人が高齢で、ひとりだけになっていたが、後を継ぐ人ができたというニュースが、最近あったと記憶している。




















 式典では、金沢市長の山野さんが前の出ていて、団長らしき人から報告を受けていた。



















また石川県知事の谷本さんが壇上に立って、記念の表彰状などを渡していた。二人の簡単な挨拶もあった。



















30分くらい式典があり、ようやくお待ちかねの「梯子登り」が始まるので、梯子がずらりと並べられた。「梯子登り」と「一斉放水」の演技については、次のブログで紹介します。