2016年3月27日日曜日

寺町台地と犀川沿い(4)宝集寺

寺町台地と犀川沿い(3)の続きで、寺町通りの一番奥にある倶利伽羅山高野山真言宗「宝集寺」に行った。ここは河北郡倶利伽羅山の長楽寺の僧・弘誉を開山に迎え1652(承応元)年に創建された。そして加賀藩主10代重教のころより前田家の祈願所になったという。




















山門の右横にお数珠と花を持ったお地蔵さんが安置されていた。




















正面の本堂の建物には玄関の扉や屋根瓦の下方部の先端部、また、屋根の天辺の「のし瓦」にも多くの「梅鉢紋」があった。前田家ゆかりのお寺であることがすぐに分かる。




















ここの境内で写真を撮っていると、若い住職らしい人が親切に扉を開いてくれて、「中にどうぞ」と言って見せてくれた。しかし、すぐに去って行ってしまったので詳しい話は聞けなかった。

本堂の中には不動明王の弘法大使が祀られている。弘法大使は名前が「空海」で、高野山真言宗は弘法大使の御廟(ごびょう)を信仰の源泉とする宗派である。高野山真言宗の教えは「いのち」の平等と尊厳を悟り、大日如来の知恵をこの世に実現するために「生かせ いのち」を実現し、共存共生の世界を目指すことにあるという。




















その左側の部屋の床の間に多くの観音像が描かれた掛け軸が掛けられ、壺や小さな観音像が載っていた。横にきれいな模様の着物が飾られていた。




















また、本堂の横にある、前に鈴を鳴らす紐が掛かった古いお堂には、「勧喜天」、「毘沙門天」、「千手観音」などが祀られていた。




















お堂の右側には「毘沙門天」が祀られ、四天王のうち北方を護る多聞天の別称で、四天王中の最高の神として、平安時代のころより単独で信仰されるようになったという。そういえば、東山にある「宇多須神社」は「毘沙門さん」と呼ばれている。


中央には「出世大聖勧喜天」が祀られている。


左側には「千手観音」が祀られている。実際にはもっと手が少ないが、千の手があるというのは、どんな人達でも漏らさず救済しようとする無限の慈悲の心を表現しているという。





















この古いお堂の前には、赤戸室の灯篭が2つあった。




















また、山門の近くにある大仏が入っている六角堂は有名で、周りに観音像が多く並べられて、頭の後ろに光っている輪がある、座っている大仏様が見られた。このお堂は12代斉広の産母・貞淋院の発願により建立されたという。









































ここのお寺はそんなに広くはないがいろいろな観音菩薩像や大仏様などが見れた。