2016年3月14日月曜日

寺町台地と犀川沿い(1) W坂

今回は、寺町台地と犀川を結ぶ坂と町並みを散歩した。
まず、寺町通りの寺町3丁目を歩くと、「町屋」のプレートが貼られた古い風情のある家があった。




















ここの庭には、木々の中に灯篭など、いろいろな形状の多くの石塔がずらりと並べられていた。ここは庭師の商売をやっているらしい。




















少し広小路方面に歩くと「寺町3丁目緑地」がある。寺町通りには所々にこのような緑地があり、ちょっと一服できる憩いの場所だ。




















緑地から少し歩いて細い道を曲がると、左側の塀の向こうは「本因寺」というお寺で、その隣には「長久寺」がある。この辺りは昔「石伐町」といって、藩政期には、戸室山の石を伐りだす藩の石伐職人の組地があったという。




















この細い道を歩いていくと、急に視界が開け、左側に「新桜橋緑地」という場所がある。この緑地からの眺めは最高で、左側には片町の繁華街のビルや犀川大橋、中央のビル群の向こうに金沢城、兼六園の木々、そして眼下に「桜橋」が見える。





























































この緑地の下にW坂の文字通り、鋭角に折れ曲がりながら降りる急坂がある。平均斜度14度、最大斜度20度に近いという。




















下から上がっていくと、アルミの手摺がジグザグになっていて、坂の途中にある木々によって、階段の下や後ろの石垣が見え隠れし、立体的な風景を演出するという。獣道のように折れ曲がりながら歩くこの道は結構面白い。




















この坂の途中に、現代日本を代表する文豪の一人の「井上靖」の作品の「北の海」の一部が描かれた石碑がある。
「北の海」は沼津中学校を卒業した主人公が受験生のまま、夏の四高柔道部合宿に参加するという設定で、友人の四高生の下宿に泊めてもらうが、その下宿は桜橋を渡ってW坂の上の寺町台にあった。この台地から見下ろす犀川の印象が描かれていた。
このW坂は四高生が名づけたといわれている。




















「井上靖」は「闘牛」で芥川賞、そして新聞小説に多くの作品を出しており、歴史小説「天平の甍」や茶人利休の死を主題とした「本因坊遺文」などの作品がある。
東大の名誉教授で「おひとり様の老後」の作者で知られる上野千鶴子さんが高校時代の3年間、この坂を上って通学したという。
W坂のアルミの手摺には桜の模様が付けられていた。


























坂の下の桜橋から見て右側にはやはり「新桜橋緑地」があるが、そこには「水辺之詩」という裸婦の銅像があった。




















そして左側には「桜坂」と「桜坂河岸緑地」がある。「桜橋」といえば、まだ「新桜坂」がない学生時代に、車の免許を採ったばかりの時に、車の練習で、ここ桜橋から桜坂に曲がるとき急激な曲がり角に遅れをとったようで、同乗者から「危ない」と大声を上げられたことを覚えている。




















この坂に沿って立っている石垣は異常に高い石垣であるが、いつ頃作られたものであろうか?




















この下の「桜坂河岸緑地」には「愛のプレリュード」という石像が立てられていた。