2014年7月13日日曜日

寺町寺院群 鶴来街道入口(2)

前回の続きで、「西方寺」の向かい側には「忍者寺」で有名な「妙立寺」があるが、ここは以前から金沢市の観光スポットで「観光コース」に組み入れられていることもあるので、多くの人でにぎわっている。今回は人も多くいたので後の機会に紹介したい。
それで、この寺の裏の小路の目立たない所にあるお寺の「願念寺」に入った。ここは、松尾芭蕉の弟子であった小杉一笑の菩提寺である。




















門前には、芭蕉の「塚もうごけ 我が泣く声は 秋の風」の句碑があった。これは芭蕉が「奥の細道」で金沢に来たときに、会うのを楽しみにしていた一笑が前年に亡くなったのを知り、この寺で催
された追悼会に詠んだ句である。
境内には「一笑塚」があり、一笑の辞世の句「心から 雪うつくしや 西の雲」の句碑も建っている。




















小さいお寺だが、庭や本堂の門構えの彫刻などは見ごたえがあった。ここの鐘は、金沢に3つあるとされる明治期の朝鮮鐘であるという。「妙立寺」と違い、静かなたたずまいであった。


























「妙立寺」の方に戻り、その近くに「三光寺」がある。ここは何といっても、明治初期に東京の紀尾井町で当時の政府高官の大久保利通を暗殺したリーダの島田一良らが会合していた場所で有名である。




















暗殺を実行したのは、島田一良の他、長連豪(加賀八家 長家の一族)や脇田巧一(西田家庭園を作庭した脇田家の一族)ら6人である。
ここで島田一良たちが、旧加賀藩の不平士族を集め、日夜集会所として利用していたので、彼らを「三光寺派」と呼んだ。現在は130年前にここで日本を揺るがす大事件について話し合いをしていたとは思えない静かなたたずまいである。
ここの現在の住職さんは彫刻家で、山門の両脇に仁王像などが彫刻されていた。寺町寺院群の他の寺にもいくつかここの住職さんの彫刻された石造があるという。確か「大蓮寺」の裏門の「豪姫」の石像もこの人の作だと聞いたことがある。


























また、その隣に願掛け寺として有名な「香林寺」があるが、拝観料が必要なので中に入らなかった。花がきれいな時期にあらためて紹介する。
その向かいには臨済宗の「国泰寺」があった。この寺の山門前に世界的科学者の高峰譲吉の菩提寺と描いてあった。ここには、譲吉博士の両親、家族などが祀られている。譲吉博士はニューヨークのウードロン墓地に埋葬されている。




















この寺は1616年に移転してから大火からも逃れ、金沢城下の中でも古い様式を残した寺院で、黒っぽい塀は趣のある塀だ。


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