2013年3月25日月曜日

尾張町界隈(3)

前回の続きで「森八商店」の跡地の向かい側へ行くと、道幅よりも
短い「枯木橋」という橋がある。
この橋の下は江戸時代からの東内総構堀の水が流れている。
この名前は、信長の一向一揆討伐で、久保市宮の境内の森林は
ことごとく焼き払われてしまい枯れ木の林になったいうことから
この名が付いたとか。




















その横には「石川県里程元標 金沢市尾張町 野々市へ1里31町24間」
と書いた標柱があった。
ここは東海道の起点が江戸の日本橋にあったように、藩政時代の北陸路
の起点は南北とも尾張町の元標のところからだったということである
またこの元標の横には明治、大正のころに使われていたガス灯があった。




















今度は橋場町から武蔵方向に左側を歩いた。
昭和5年に建てられたというモダンな建物の「三田商店」がある。玄関欄間
のステンドグラスも洒落ていて、中はギャラリーになっていた。
面白そうなものがありそうだったが、鍵がかかっていては入れなかった。




















「三田商店」の裏にあったカフェ「フルーレ」でコーヒを飲み一服した。
ここでは、マスターと40歳くらいの二人のやり手の女性が、この近くに
アパートを借りて、町屋をリフォームして何か店を作る話で盛り上がっていた。
金沢城と東山の中間のこの近くで店を持つことにほれ込んでいるようであった。
「音楽カフェなどいいんじゃない」というので、私は「それはいいアイデアだ」と
賛同して仲間に入った。
そういえば金沢には美術工芸のギャラリーはたくさんあるが、町の中に演奏
などできる場所が少ない。




















また少し歩くと「松田文華堂」といって江戸時代から墨、筆や硯などを売って
いた店があるが、今はもう店はやっていない。




















それでも店の中に入ると、一人の男性が小さなライトを付け一生懸命作業を
していた。
この人は、昔の町屋の建物や浅野川大橋付近に戦前あった火の見櫓などの
ミニチュア版を写真を参考にしながら作っているという。
ここの場所をアトリエとして使っているという。
作ったものを見せてもらったが、非常に精巧に作られ、すばらしいものであった。




















店の中にあるものは、江戸時代から店で使っていたものがそのまま
残っていて、小物を入れる引き出しなど、なんともレトロな雰囲気である。




















1800年代の初めのころ、産物交易による富国増殖を説いた有名な江戸の
経世家の海保青陵という人が、金沢に来た時に、ここの人と交流があったので、
青陵が書いたという松田文華堂の看板が掲げられていた。




















また少し歩くとレトロな建物の薬屋の「石黒傳六商店」がある。
この店の建物は嘉永5(1852)年だが、最初に店を構えたのは寛永年間
(1661~1673)と伝えられていて、現在は20代目傳六というから相当
古い。今は薬の卸業をやっている。








































隣のビルは昭和2年に建てられた「石黒ファーマシー」というビルで、
当時としては珍しい地上4階、地下1階ビルでモダンな建物であった。
今は1階がコンビニになっていた。

次に尾張町町民文化館がある。
平日で中には入れなかったが、尾張町の老舗に伝わる受蔵品の
展示をやっている。
明治後期に銀行として立てられたが、外観としては銀行として似ても
似つかわしくない黒漆喰の土蔵造りである。
昔に入ったので覚えているが、内部の銀行時代の窓口には頑丈な金網があり、
面白い。柱もあめ色のギリシャ風のものであった。




















この町は、金沢城の大手門に近く、藩政時代は城と、また、戦前までは
陸軍7連隊、第9師団本部とのかかわりを持ちつつ発展した。
いつまでも老舗の名前を残していってもらいたいものである。
尾張町(1)、(2)、(3)の散歩時間は3時間30分、7200歩でした。

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