2025年8月23日土曜日

志賀高原・草津温泉・善光寺(4)草津温泉 西の河原公園

 志賀高原・草津温泉・善光寺(3)光泉寺 旅館の続きで、次の朝、午前6時ごろに散歩に出かけた。前回、草津温泉に来た時は風が強くて途中で断念した「西の河原公園」に再度行った。



















公園に入る手前に「片岡鶴太郎 美術館」の建物があった。鶴太郎と言えばお笑いタレントとして以前はよく知られているが、画家としても才能があり、「ヨガ」に没頭していたことも有名でテレビにもよく出ていたが、最近はどうしているのだろうか?この美術館は鶴太郎の絵画か書が展示されているが、才能のある人はいろいろとできる。


















「西の河原公園」遊歩道が整備され、格好の散策場所になっており、温泉が至る所から湧き出ていて、異様な雰囲気を醸し出している。


















所々に硫気に化成された様々な形状の奇岩が乱立しおり、温泉を淀ませて湯の花を採取する小池が作られている。




















途中には多くの地蔵さんが置かれていたが、その中に「ぴんころ地蔵」という面白い地蔵さんがあり、あやかりたいと思い、丁寧にお参りしてきた。


















ベルツ博士の胸像と記念碑があった。ベルツ博士はドイツの医学者で、東京帝国大学の教授として日本に30年間滞在した。明治11年に草津温泉を訪れてから、温泉の効能と環境に魅せられ、草津を愛し、特に高温入浴法の「時間湯」は博士の温泉研究の貴重なテーマとなった。

























































木橋の向こうに積まれた石に囲まれた「不動明王像」があり、その背後には「不動滝」が見えた。


















「いづこにも湯が噴きいでて流れゐる谷間を行けば身はあたたかし」と刻まれた「斎藤茂吉」歌碑があった。
























上の方から湯の滝として流れるのが見え、滝の下の地面は緑色と両側は茶色になっていた。ここからまた下ったが、さらに奥に行くと巨大な露天風呂があるという。





































公園の途中に赤い鳥居が並ぶ「草津穴守稲荷神社」があった。
























階段を上ると小さな祠があり、赤い舞掛けをした「狛狐」が鎮座していた。この赤は鳥居とともに魔除けの意味があるという。稲荷社はもともと穀物の神様であるが、商売繁盛の神様でもある。本社は東京大田区の「羽田穴守稲荷神社」で、1907年頃、東京の山崎染物店の主人が草津の湯治に通い、病気の平癒の記念に常々信仰していた穴守稲荷をこの場所に分霊し勧請した。


















昔は西の河原公園は訪れる人も稀であったという。河原一体から温泉が湧き出しており、「鬼の茶釜」は代表的な温泉湧き口であった。湧き口は茶釜が沸騰するように異様な音を立てて湯を吹き出し、湧口に人が近づくと、足元から音がぴたりと止まる。離れるとまた音が鳴りだす不思議な湯口として怖がれた、誰ということなく「鬼の茶釜」の名が付けられた。
























こちら岩石、温泉の流れがあったところで、湯の成分によって藻のように緑色に変色している。