今回は、「くらしの博物館」で「家紋」展をやっていたので見てきた。
江戸時代の平和な時代になって流行った「武家の家紋」について説明板があった。
前田家の家紋は「梅鉢」であるが、家が増えるにつれて種類が増えている。下図は梅鉢が変化したものの一部である。
この梅鉢も昔は中心部の「オシベ」が短かったが、後に剣形が特徴になったため「剣梅鉢」と呼ばれるようになった。分家はこの「剣梅鉢」の一部を変えたり、囲いを付けるなどして家紋が増えていった。
家紋の歴史は平安時代の後期からとされ、貴族が調度品などに好みの文様を付けて、識別したという。鎌倉時代には、武家の戦いで敵味方の区別するために使われ取り入れられ、広まっていった。江戸時代には、参勤交代た登城で識別するために着物や道具にも使われた。この時代に多くの家紋が使われ、現代に引き継がれている。
下図は12代藩主前田斉広着用の裃(かみしも)
提灯や提灯箱にも描かれている。
旗源平の旗には「源氏」や「平家」の家紋が。
家紋の工程には、いくつかあるが、「型を作る」には、金沢では「渋紙」を使い、下絵を描いて、小型で彫り、刃は時計のゼンマイを切って研いで自作するという。
型紙に塗料を小刷毛で刷りこむ。塗料を定着させるために、火鉢の上に置いてヤカンの蒸気で蒸す。
紋章展のために制作された「加賀紋・子供縫紋構図」が展示されていた。
「金沢和傘」に金沢市のき章が描かれている。きれいな振袖?にも紋章が入っている。
「尾古屋銅山」の経営に成功した「横山隆興」の家紋は、加賀八家の分家なので「卍」に囲いのついた家紋である。
「タカジアスターゼ」や「アドレナリン」を発見した「高峰譲吉」は、八つの矢羽を図案化した「八本矢車」の家紋である。野町にある高峰家の菩提寺の屋根瓦に用いられている。
金沢の三文豪の一人の「泉鏡花」は、香木の香りを楽しむ香道の「組香」の一つで、「紅葉賀」(源氏構図」の家紋で、鏡花が着用していた羽織に「紅葉賀」が入っている。



