山中温泉の「厨八十八」を出た後、「こおろぎ橋」を渡った右手の坂を上がるとすぐに 「旧加賀藩家老武家書院の「無限庵」がある。
玄関から二階書院へ続く外観で、入母屋造妻には狐格子に懸魚を付け、四方に桟瓦葺きでめぐらせている。
この建物の南半分は、1912(大正元)年で、小松市の尾古屋銅山などの経営にあたっていた横山章が、金沢市高岡町に建てた。横山家は言わずと知れた加賀藩の重臣で加賀八家のひとつで、章は十三代の分家にあたる。建築後しばらく経って鉱山の経営が悪化し、家屋も手放さざるを得なくなった。これを山中町出身の実業家・新家正次が引き受け、別宅として1921年に現在地に移築した。その際に北側に座敷が増築されたといわれる。
1980年になって建物の運営は、財団法人に代わり、以降「無限庵」の名で公開されたという。
「無限庵」より
北側にある玄関はこじんまりとしやガラス引き戸の上に透かし彫りの上塀、両側に土壁にぬき穴がありやはり透かし彫りと下に竹が並んでいる。そして玄関前に近代建築としては珍しく「狛犬」(?)が置かれている。
「無限庵」より
式台を上がるとすぐ右手に小さな洋間の応接間がある。豪華なシャンデリアに洒落た丸窓はギヤマンで窓の間には鏡がはめ込まれていて、その周りにも細かな細工がなされている。そして豪華な深紅の分厚いカーテンが架かっている。
天井は格天井でと木象嵌の洒落た文様が入っている。
外から見た応接間は、石の台の上に栗のなぐりを、剣先に見付にし詰めうちされている。
「無限庵」より
次の間と座敷の間には桐の図案を透かした桐板がはめ込まれている。二つの部屋にはお宝が多く展示されている。
有名な人が作ったものであろう江戸時代後期の「将棋の盤と駒」
「菊御紋」の蒔絵の天台
茶室は二畳台目中板入り向切りであり、客座二畳の間に中板を入れ中板と一畳の客座に沿って台目の点前座を敷き、もう一畳の客座に面して床を構えている。
洒落たデザインの窓ガラスと障子の小部屋