2024年2月4日日曜日

金沢の地形と森本富樫断層

 元旦の「令和6年能登半島地震」では、能登の方で大きな被害にあったのも、まだまだ記憶に生々しい。

今回は、私が定期的に受けている1月の市民公開講座「金沢学」で、金沢大学の「青木賢人」先生が「金沢の自然災害と防災」というタイムリーなテーマであったので、その一部を紹介する。

4年前にも同じ先生から「浅野川洪水」を中心としたテーマから同じような話を聞いていた。

今回の能登地震の写真(講座資料より)























金沢の台地は、150~50万年前に浅い海に堆積した地質が隆起して丘や山になった部分である。(卯辰山や野田山など)
100万年前の北陸の地形















そして小立野台地などは、浅野川と犀川の二つの川が数万年前に運んできた砂利が堆積した部分で、その後、川によって削られた部分と残った部分である。古い時代にできたほど高く、新しいものほど低い階段状の地形になっていてて砂利などがたまった河岸段丘である。
















低地は扇状地と沖積平野からなり、扇状地は川沿いの洪水によって砂利がたまったところで、水はけが悪いので水田には向かない。

沖積平野は、6000年前まで浅い海だったところが、川から運ばれたきた砂や泥に埋められた平らな土地になったところをいい、水がたっぷりで水田向き。


藩政期のこの辺りは、小立野台地の先端が金沢城で、旧市街地が扇状地・城下町になっており、その外側は沖積低地で水田・農地となっていた。そして現在に至るが、金沢の地形は、長い目で見ると二つの川の洪水で形成されてきたということである。

















次に金沢付近にある「森本富樫断層」について講習を受けたので紹介する。
「森本富樫断層帯」は、津幡・森本から金沢の中心街を通り、手取川扇状地まで続く約26kmの断層帯で、南東側を上盤、北西側を下盤とする逆断層である。森本断層と富樫断層の間には「野町断層」があり、金沢の主要部は、断層の上部側間近に位置する。つまり長町辺りの「旧西外惣構堀跡」の坂や武蔵が辻交差点から尾張町方向を見ると少し坂になっているのがそうだという。




「森本富樫断層帯」では過去数十万年間~数万年間においては、平均的に上下方向のずれ速度が概ね1m/千年であった可能性があるという。この断層の最新の活動は、約2000年前以後、4世紀前にあったと推定されるという。1回の活動によるずれの量は3m程度、そのうち上下成分は2m程度であった可能性があったという。
下図は、森本の梅田町付近に実際にあった逆断層でずれた現物の地層の写真で、約2000年前に起きたものだという。これ以後に最近では大きな地震は起きていないという。




















断層のずれは三つの種類がある。




森本富樫断層による将来の地震発生の可能性は
地震の規模:M7.2程度
地震発生確率:30年以内に、2~8%
平均活動間隔:1700年~2200年程度
最新活動時期;約2000年前以後、4世紀以前
と言われているのでいつ起きてもおかしくない時期に来ている。
全国では、確率が高い「南海トラフ地震」や「首都直下型地震」ばかりが騒がれていて、確率が低いので、金沢の人たちはのんびりしていたようだが、実際に7年前の「熊本地震」を起こした布田川断層は最大0.9%だったというからそれよりは高いということになる。
森本富樫断層帯が活動した場合の地震のハザードマップを見てみると、金沢市街全域および能美市からかほく市までの広い範囲が震度6弱~6強の範囲で一部は震度7の可能性もあるという。今回の輪島や珠洲と同じような被害が出る可能性があるということだからゾッとする話である。























もう一つ今回の能登半島地震で内灘や新潟市内で起きた「液状化」について大きな問題になっているが、森本富樫断が活動した場合の金沢市液状化危険度予想図が下図である。この図からは「鳴和・東金沢駅」付近から北部方面が危険度が高いことが分かる。


















いずれにしても、この「森本富樫断層」が活動した場合、金沢市は大変になることが分かる。私も含めてこの事実を受け止めて、もっともっと「防災」について検討し、早く対策していかなければならない。