2018年9月17日月曜日

いしかわルーツ交流館 島田清次郎誕生地

前回の「浅野太鼓」の後、白山市旧美川にある「いしかわルーツ交流館」に行った。



















ここは一時、旧石川県庁があったところである。
明治5年、能登の4郡が「七尾県」として「金沢県」から分けられた時に、県の大参事内田政風(薩摩藩出身の士族)は「金沢」では北に寄りすぎているていると、県庁を石川郡美川町に移し、県庁が石川郡だから「石川県」にした。(諸説あり)しかし美川町に県庁があったのは1年足らずで、その後、金沢に戻った。
内田政風は西郷隆盛らより金沢藩に行くように言われているが、その前に金沢の陸義猶(くがよしなお)が西郷隆盛に鹿児島士族を県令に招くよう働きかけていたという。

































美川は手取川の河口にある町だが、白山開山1300年を記念して「白山お返し水」として、井戸の中に湧水が出ていた。



















館内に入ると、旧石川県庁の正門を再現した中に旧美川に関連したものが展示されている。中は写真禁止だったので紹介できない。ここには、内田政風の知事室の再現や実施した政治活動などが映像で見れる。また、旧美川町名誉町民の国務大臣まだやった「奥田敬和」氏の政治家の功績が展示されていた。江戸時代は北前船の栄えたところで船のジオラマや、工芸では「美川仏壇」や「美川刺繍」で有名である。
美川は手取川ときってはきれない関係にあり、今、力を入れている「手取川ジオパーク」などについての展示もされたいた。



















この建物の屋上に上がると展望台になっていて、非常に眺めの良いところだ。すぐ横に日本海の海に流れ込む幅広くなった川にJRの鉄橋と大きな道路の橋が見える。さらに海側には、高速道路が見える。ちなみにJRの鉄橋は、現在、大阪へ行くサンダーバードも走っているが、私が10代のころに小松などへ行った時もこの鉄橋を走っているので、かなり年月が経っていると思う。

向こうに見える高い山は「白山」か?その左側には大笠山や奈良岳も見える。白山山麓から美川へ流れる手取川は、日本の中でも傾斜度の高い急流の川のひとつである。昭和9年には、大洪水があったことは写真で見て知っている。



















「いしかわルーツ交流館」のすぐ隣に「島田清次郎生家跡」の碑が建っている。美川の北前船で商売をやっていた父が亡くなった2才までここに住んでいた。この後、母親と一緒に祖父が経営していた金沢の西茶屋街の現在「西茶屋資料館」になっている「吉米楼」で育っている。

































そのすぐ近くに「藤家神社」があった。中には入らなかったが、寺院では珍しい石垣が張り巡らされていた。美川で有名な「おかえり祭り」に使う神輿が奉納されているという。
江戸時代に町奉行所が置かれ、北前船での繁栄は現在「おかえり祭り」の豪快さにその名残をとどめているという。



















美川駅付近で昼飯を食べようとしたが、食事処はなかなか見つからなかった。



















そこでネットで調べたところ、「寿司 美浜」が出てきて、その場所へ行ったが看板がなかったのと、この店の玄関の入り口が分かりづらく見つけるのに時間が掛かった。ここで食べた「美川県一丼」は、歌手「美川憲一」と「美川が県一の町」をかけた面白い名前だ。すぐ目の前の美川漁港で獲れる新鮮な魚介類のっており、特に今が旬の「甘エビ」は身がたっぷりでおいしかった。