2017年8月22日火曜日

中川一政記念美術館

前回の続きで、「松任ふるさと館」の隣にある「中川一政記念美術館」に入った。中川一政の両親は石川県人で、父の実家は金沢の刀鍛冶の家で、また母は松任の出身である。一政にとっては「母のお里」である当地に昭和61年に「中川一政記念美術館」ができた。



















中川一政は明治時代に生まれ、大正時代に独学で画の道を歩み始め、戦後、神奈川県の真鶴にアトリエを構え、20年に及ぶ(福浦の時代)と呼ばれる苦闘の時期を乗り越えて、還暦を迎えてから独自の画風を確立したという大器晩成の人で有名である。
下図は在りし日の中川一政の写真である。1975(昭和50)年に文化勲章を受章しているが、このとき82歳である。
























常に自己革新を目指して挑み続ける一政が70歳半ばで選んだ箱根・駒ヶ岳は、その対象を見つめ、そこから受ける感動をその場で表現するという現場主義が生涯貫かれ、90歳超えても渾身の作品を生み出し続けた。下の出口の左側の絵が箱根・駒ヶ岳

中川一政といえば、向日葵や薔薇の油絵が一番の特徴であり、多くの向日葵など絵が展示されていた。



















「画の向日葵」と言へば、あのヨーロッパの巨匠ゴッホが有名であるが、ゴッホの向日葵に対しての自分の思いも綴っている。



















一政は油彩を中心に、岩彩や水墨、書、陶芸また挿絵、装丁そして短歌、詩、随筆などの文芸に幅広く芸術活動をしたという。下の書も80歳を過ぎてから描かれたものだという。90歳を超えてからの力強い作品も多く展示されていた。
























この建物の別館から見える日本庭園も素晴らしい。




















「中川一政記念美術館」を出て、松任駅の目の前に「D51の蒸気機関車」が飾られていた。D51はかって国鉄の花型蒸気機関車としてもっぱら北陸本線の貨物輸送に貢献してきた。国鉄の無煙化、電車化によってその使命を終え、ここに昔の雄姿をとどめている。この機関車の全走行距離は1,566,000kmで、地球を39周したことになるという。
昭和59年より駅前緑地広場に移転展示されている。