2016年4月4日月曜日

小諸、上田城 バス旅行(2)上田城

小諸、上田城 バス旅行(1) の続きで、「信州蕎麦」を食べた後、上田城に行った。上田市は、40年以上前にやはり出張で何回も訪れており、上田城も見に行った記憶がある。その時は、櫓が少しあったようだが、城の中は閑散としていた。しかし、今は大河ドラマの「真田丸」で放映している城で、すごく脚光を浴びているところである。
1583(天正11)に真田幸村の父の昌幸が築城した平山城で、徳川の大軍を二度にわたって退けた名城である。二度の実践の歴史を持つ近世城郭は全国的にも例がないという。どんな城だったのか非常に興味があった。
駐車場から見た西櫓




















自称上田弁丸出しというユニークなガイドさんが説明してくれ、楽しくガイドしてくれた。
2度の戦いがあったが、関ケ原合戦の後、徳川家康は城を破却した。現在残っている上田城跡は1626年ごろから仙谷忠政によって復興されたものである。安山岩の算木積みと凝灰岩の石垣がくっついているところがあったが、安山岩の方の石が古いことから真田時代の石垣だろうという。




















二の丸東堀の空堀は、関ケ原の合戦ののちに徳川家康によって埋められたが、仙北氏によって再興された。両側が崖になっており、確か今年の正月ごろの「ブラタモリ 上田編」でもここを歩いていた放映があったと思っているが?




















その崖に這いつくばって生えている木々




















二の丸東堀から階段を上がって「二の丸橋」を渡った。橋の表示に目、鼻、口がある顔のマークのようなものがあったが、二つのリングとその下に「ハ」と「シ」があって、これで「二の丸橋」と描いてあるという面白い石柱があった。


























上田は養蚕王国信州を代表する蚕都だったことからその記念樹として「枝垂れ桑」があった。




















二の丸から見た「本丸堀」と「東虎口櫓門」、「南櫓」、「北櫓」。この「南櫓」と「北櫓」は明治になって廃城になってから、民間に払い下げになり、遊郭の妓楼として利用されていたが、今は元の櫓に戻っている。




















「東虎口櫓門」の両側の石垣のでっぱりの長さが違う。右側の長く出っ張っているほうの石垣の上の建物には狭間が備えられていて敵が入り口まできたときに、ここから鉄砲で攻めるという。その石垣の前には大きな枝垂れ桜があったが、4月中旬ごろには城をバックに見ごたえがある花が咲くのだろう。




















大手門に巨大な石を用いることが多く、城主がその権威を示すために、大きさを競ったということはよく聞く。現在の石垣は仙石氏が造ったものであるが、真田氏に寄せる人々の敬愛の情がうかがえるもので「真田石」と呼ばれている。




















「東虎口櫓門」を入ると、正面にあるのが「真田神社」で、元は松平神社といっていたが、戦後に真田氏と仙石氏を合祀する上田神社となり、1963(昭和38)年に「真田神社」と改称されたという。




















「真田神社」の境内に、大井戸があり、これは抜け穴になっており、遠く北方の太郎山麓まで通じているといわれている。そういえば大阪城の真田丸にも抜け穴といわれる洞窟があったときいたことがある。金沢の「忍者寺」にも井戸があり、金沢城まで通じていたと伝えられている。




















続いて、真田信繁(幸村)を描いた物語、大河ドラマ「真田丸」の世界が体験できるという「真田丸 大河ドラマ館」に入った。仙石の荒波を駆け抜け、その波乱万丈の生涯と家族愛を描くストリー展開に合わせて展示されている。
館内は撮影禁止だったので、撮ることはできなかったが、ドラマ制作の裏話や実際撮影に使われた真田家の家族の衣装や小道具などが展示されていた。




















大坂の陣での馬防柵で囲まれたエリアに信繁(幸村)の赤備えの鎧兜が展示されていた。


























上田城を見た後、お土産屋に寄り、ガイドがお薦めといっていた「みすず飴」を買った。ゼリー状の果実風味の味で、帰ってから孫が喜んで食べていた。

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