2014年4月18日金曜日

旧前田侯爵邸洋館

今回は東京へ野暮用ができたので、車で出かけた。途中、上信越高速の碓氷峠付近の道路で亀裂が見つかったということで確認作業のため一部通行止めになっていた。おかげで東京には1時間遅れの到着ということになった。
空いた時間に目黒区の駒場公園にある「旧前田侯爵邸」に行った。ここは東京に来たら前から一度は見たいと思っていたところだ。というのも新聞で見たが、ここの建物は歴史の重みが体験でき、洋風建築の全国のベストテンの上位にランクされている人気の場所だ。





















玄関から見た建物の外観も非常にすばらしい。
この駒場公園の敷地は、本郷にあった加賀百万石の上屋敷跡に維新後にも前田邸があったが、関東大震災後に東京帝大農学部が本郷に移転するために前田家の敷地と等価交換したという。
そして前田家の16代の利為(としなり)がここに前田公爵邸洋館を昭和4年に建てた。




















この洋館は当時、東洋一と賞賛された豪邸で、イギリスのチューダー式の洋館は連日華やかな社交の場として使用された。
内部には王朝風の装飾が施され外国製の材用で造られた豪華な部屋が多くあった。この洋風の室内に伝統的な唐草や雛菊をあしらった文様なども見られた。また、暖房用のダクトが各部屋につながっていた。








































1階は外交官や皇族などを招くパーティーが催される社交場で、食堂、客室、サロン、応接室などがあり、2階は家族の生活の場で、夫妻の寝室、婦人室、各子供の部屋、書斎、女中室などがあった。大きな婦人室は家族団らんの場でもあったという。








































各部屋には暖炉が付いていて、その周りの彫刻もすばらしかった。




















特に階段の周りから眺めると一層豪華なイメージがあり、階段上の透かし窓は仏教的なモチーフである宝相華(ほうそうげ)唐草が取り入れられていた。








































また、照明器具も見ごたえがあり、証明を吊る場所にもさまざまなデザインが施されていた。




















サロンでコーヒーを頂き、ゆっくりくつろぎながら周りを眺めた。


前田利為は陸軍中将で東条英機とはライバルであったが、1942(昭和17)年にボルネオ島沖で飛行機ごと消息を絶ったという。
この建物はその後、中島飛行機(1945年終戦まで日本の航空機エンジンのメーカーだった。後の富士重工)が買収し本社となったが、戦後、連合軍に接収され一部改修されたが、1964(昭和39)年に東京都の所有のなったという。

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