2013年4月5日金曜日

旧新町、主計町界隈(1)

今回は、尾張町の通りの裏にある小路の旧新町、主計町を歩いた。
(ただし、下新町は旧町名復活している)
旧新町の小路のつきあたりに建っているのは、精進料理の寿屋である。
ここは法事のときなどに、何度か入ったことがある。
もと羽二重問屋として利用されていたものを、昭和8(1933)年に
購入し、精進料理屋としたものだ。
外観は、大きくきれいな黒瓦の屋根で、木虫籠(きむすこ)や黒漆喰の
正面と調和して、藩政期の面影を残している。
店の中の座敷や仏間など藩政期のもだという。なんとも趣のある部屋
だったことを記憶している。




















またこの当たりは旧博労町といって、その名前の由来は、藩政期に伝馬役所
があり、馬を売り買いする博労たちが住んでいたからという。




















旧新町の町並みは、戦前からの古い町屋が多く、この小路は私の幼稚園時代
に友達はいたのでよく来たし、泉鏡花の小説にもよくでてくる。




















彦三方面に少し曲がったところに、加賀友禅の「木倉や」がある。




















ここの店は加賀友禅の「花嫁のれん」、小物やバックなどきれいな模様が
描かれたものが並んでいた。
創業は、天正7(1579)年というからかなりの老舗である。
店の話を聞きたく入ったが、店員がお客さんとずっと話をしていたので
聞くことができなかったのは残念だ。








































橋場方面に歩いていくと、泉鏡花の生家に建つ泉鏡花記念館があるが、
ここは、また後日はいることとし、向かいの「佃の佃屋」に入った。




















ここは、佃煮を売っているが、特に「ごりの佃煮」と「くるみ煮」が有名である。
子供の頃からよく食べたが、独特の味、食感がある。




















最中の中に入った佃煮はお湯をかけて食べるお茶漬けとして人気があるという。




















ごりは清流にしかいないというが、昔は浅野川でもよく捕れたが、
今はまったくいなく、琵琶湖か北海道のものだと店員が言っていた。

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2 件のコメント:

  1. いつも、楽しくかつ羨ましく拝見させて頂いております。
    今回の旧新町散歩で金沢ゆかりの”泉鏡花”の生家があり、後日見学との事ですね。
    大分前の東京散歩の際、雑司ヶ谷霊園内に”泉鏡花”の墓石があったと書かれています。
    何故、東京・豊島区の雑司ヶ谷霊園(東京都営霊園)に”泉鏡花”の墓石があるか
    ”泉鏡花”が東京へ出て、没後家族が雑司ヶ谷霊園に墓所を求めたのかと勝手に想像しております。
    ”泉鏡花”祖先の出身地(もしくは本家)が金沢なら、墓石も金沢にあると思いますが。
    調べて頂ければ幸いです。楽しみに待っております。
    これからも、大変でしょうが時間の許す限り新しい箇所等を楽しみにしております。

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    1. いつも見ていただいてありがとうございます。
      いろいろ調べてみたところ、やっと分かりました。
      母は鏡花の若いときに亡くなり、父は借金を抱えて亡くなった。
      当初、父母の遺骨は金沢の墓に入った。
      その後、祖母など家族を東京へ呼び寄せた。その時に
      お墓も東京に移動したという。その後、鏡花が亡くなった時に
      家族や文学の友人(谷崎潤一郎、佐藤春夫など)らと墓を
      有名な墓地の雑司が谷に移したという。
      分からないことを調べるのも面白いですね。
      これからもどしどし質問ください。

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