小原古邨展(1)の続きで、小原古邨の木版画の特徴について紹介する。
江戸時代に流行った「浮世絵」の中には、木版画が使われ大衆庶民に広まったのは、大量生産と低価格が可能で、蕎麦1杯分で買えるようになったことがあげられる。特に「歌川広重」や「葛飾北斎」、「喜多川歌麿」など有名な絵描きが出ている。「浮世絵」は絵師本人が好んだ絵柄がそのまま売れるのではなく、大衆が認めたものが売れていき、人々の感性に支えられてだんだん洗練されて、芸術性が高まったという。
「葛飾北斎 富嶽三十六景」より
明治に入って外国に日本の「浮世絵」ブームが起こり高い評価を受けたが、その頃は「葛飾北斎」などの名品は入手困難で、その当時活躍していた画家たちに絵をかいてもらい、伝統的な浮世絵を駆使して摺った作品を輸出した。外国人に浮世絵がどう思うかを相談しながら試行錯誤を苦理解した。そういう中に「古邨」も画家のひとりとして「新版画」として加わっている。
「浮世絵商の小林文七は版元として出版した木版多色摺りの画帖」より
古邨の花鳥風月は、江戸時代の錦絵と呼ばれ、錦絵は浮世絵木版画であり、多数摺りの木版画はは何人もの協力者がいて、様々な工程を経て作品が出来上がる。絵師や彫り師、摺師などの共同作業から作り上げていく伝統的な方法である。
蓮の葉を帽子にして踊る狐は、ふさふさの毛が揺れ、見る人を和ませる図であるが、いくつかの絵図には、見比べると足取りに合わせて摺られた背景のぼかし、狐の毛並み、微妙に落款の位置も異なる。通常の大きさではわからないが、拡大してみると狐の細かい毛並みまではっきりわかるという。つまり彫や摺りによって異なった複数のパターンがある。
「月に桜と鳥」の2図は、黒いカラスの腹の部分の羽の色が異なっているが、片方は雲母を使って灰色にキラキラしたものが見える。