2019年7月31日水曜日

卯辰山寺院群(5)三宝寺 妙国寺 

卯辰山寺院群(4)の続きで、「真成寺」の横の路地に入り、その路地沿いに「三宝寺」がある。数段の階段を上ると薬医門の山門がある。



山門をくぐると、正面に立派な唐破風の屋根の本堂がある。この寺は、1643(寛永20)年に能登滝谷の妙成寺17世・日伝上人が小松に建立した。また三代利常の生母・寿福院の位牌所にもなっていた。後に1671(寛文11)年に金沢に移転したという。寺内には秋山神を安置するが,痔を治す神様ということで痔に困っている参拝者も多かったという。




















寺宝には不動・愛染(絹本)・妙見尊の画像などがある。玄関の上には「清粛館」の名前が描かれているが、どんな所なのだろうか?

続いて「妙国寺」に行った。山門はやはり薬医門である。ここは日蓮宗の寺で、開山は1614(慶長19)年に富山の妙国寺住職の神命院日全の創建である。



















本殿は、玄関の屋根がやはり唐破風で、先端には鬼瓦の上にちょんまげのような鳥衾が長く突き出ている。屋根も大きな瓦屋根になっているが、壁は白漆喰が塗られいて、一見は古いお寺の雰囲気とは違うように見える。ここは日蓮の作と伝えられている大黒天が安置されているので,俗に大国寺とも呼ばれている。





























本堂の向かい側に、方形の屋根の下に大きな卵の殻のようなかたちのところが大国堂で、この寺の11代目の孝寿院日亀の時に、はじめて堂宇を建立したものといわれている。今も千部読謡会・法華懺悔会などが執り行われている。この前に両側に戸室石で作られた大国さんが持っている「打ち出の小槌」型の石が置かれていた。
























その隣には「擁護殿」という建物があった。この前のほうに菩薩像があり、悪い所をなでると治るといわれている。
富山の反塊円の元祖は浄閑翁といわれているが、日全が浄閑翁に反塊円の薬方を伝授していたという。

ここには、蕉門中興の人といわれる「成田蒼」の墓がある。(写真は4月に撮ったもの)「成田蒼」は俳諧の高桑闌更に学び、闌更没後の1800(寛政12)年京都・双林寺の芭蕉堂に移って南無庵を称した。1843(天保5)年に江戸に移り、1842(天保13)に没した。そして分骨をここ妙国寺に納めた。妙国寺境内に句碑「行く春はいかだの下にかくれけり」の句を刻んでいる。

2019年7月27日土曜日

ひがし茶屋街付近の様子 2019初夏(3)

ひがし茶屋街付近の様子 2019初夏(2)の続きで、国道157号線の大通りからひがし茶屋街に行くまでの通りは「ひがし茶屋街」の門前通りという感じで「おみやげ屋」やスイーツなどの食べ物屋がずらりと並んでいて、観光客で賑わっている所である。昭和前期以前に建てられた思われる町屋の建物が多い。
























その通り沿いにお寺「円長寺」がある。ここは浄土真宗大谷派の寺院で、開山は、越前国の超願寺の僧侶が、1856(天正14)年に大鋸屋町に創建したのは始まりで、その後、1596(慶長元)年の当地に創建したという。加賀藩3代藩主利常が卯辰山周辺に鷹狩りに来た時に、たびたび小休憩の場所としてこの寺を利用したといわれている。その縁により、没後に利常の遺灰を守り、現在も安置されているという。そのため剣梅鉢紋の袈裟使用が許されているという。



















本堂の横にある六角堂の一切経蔵は 1865(慶応元)年に建立され、一切経が大切に保管されているという。以前は勝手に回してもよかったが、今は鍵が掛かっている。
























この「円長寺」の向かいに、最近できたばかりの金箔屋「さくだ」の姉妹店があった。



















店の中に入ると、大きな鳥が獣を食っている唐木の一刀木で作られた全面が金箔が貼られた見事なものが飾られていた。
























他にも金箔で覆われた「七福神 宝船」、「百獣の王 獅子」や「立派な鬣の二頭の馬」などが飾られていた。



















また奥のほうにガラスのようなものに小さな矩形状が集まって、金箔や銀箔で模様がつけられた 大きな円形状のものが置かれていた。



















また、鮮やかな色と模様に圧倒された大きな壺は、プラチナ象嵌で作られたものだという。
























すぐ近くにコロッケ専門店で人気がある「金澤クロケット」があったが、今話題の味がどんなものか食べてみたかった。





















「金箔アイス」があちこちに売っている中で、ここの店には、金沢大学の先生が開発したという「解けないアイス」を売っている珍しい店もあった。食べた人に来たら味は変わらないと言っていた。

2019年7月24日水曜日

茶屋街付ひがし近の様子 2019初夏(2)

ひがし茶屋街付近の様子 2019初夏(1)の続きで、その通りの先に「東山菅原神社」がある。加賀藩前田家の先祖が「菅原道真」だということから、金沢には「菅原神社」と名のつくがいくつかある。ここは、もちろん学問の神様であるとともに、茶屋街の鎮守社でもある。




















境内には、参道の両側左にクロマツ(男松)、そして右側にアカマツ(女松)が配され、諸事の良縁が叶えられるよう現在もその当時をしのぶ御神木となっていて「良縁の松」と呼ばれている。
























アカマツの幹にある傷跡は太平洋戦争末期に幹から松根油を採取した名残である。兼六園の梅林にも、同じような大きな傷跡がある松がある。
























神社沿いの通りに、お茶屋さんを改修した「ほやさけ」という典型的な金沢弁を店名とした「小松うどん」の店に昼食のために入った。



















玄関を入ると、以前お茶屋さんだったと思われる広い階段があった。現在は、ここの2階で宿泊できるようだ。お茶屋さんの部屋で宿泊するのも乙なものだ。



















石川県で大衆的なうどん店が開店したのは小松だったといわれている。江戸時代に加賀藩に納められ、加賀藩御用達のうどんとして将軍や大名家に納められたほか、松尾芭蕉も食したとされる「小松うどん」は300年の歴史があるという。今回は、ふつうは小麦で作られたうどんであるが、特別に大麦で作ったという細めのうどんの「なめこおろしうどん」を食べた。細いがもっちりして、だしの味もよくおいしかった。



















その後、わきの通りを歩いていくと、200年前に建てられたという建物「お茶屋文化館」の2階に小さな屋根付きの提灯がぶら下がっている。最近はぶら下がっている店が少ないが、以前はほとんどの店にあり、夜になると店が開いている提灯だけに明かりがついていたのだろう。現在は、この店には芸妓さんが使っていた小道具、例えば笄や櫛などが展示されている。また、紅殻の間や群青の間もある。



















クランクしている角には、一際大きいお茶屋さんの建物がある。玄関がないので店の裏手なのだろう。その横には蔵がくっついている。その近くのお茶屋さんも紅柄格子で、簾が掛かっていて風流さを醸し出している。




















その先に、ひがし茶屋街の「検番」があり、玄関には夏らしい華やかな「七夕の吹き流し」が飾られていた。また、2階から芸妓さんのけいこ中か三味線の音色が聞こえていた。



















「検番」の横には「金沢おどり」や検番での見学体験などのポスターが貼られていた。2階の雨戸は中央にある鉄のポールで作られたところに収納するのだろうか?ほかの店の雨戸は隅に戸袋がついているが。

2019年7月21日日曜日

ひがし茶屋街付近の様子 2019初夏(1)

前回の西茶屋街にひきつづき「ひがし茶屋街」付近について、最近歩いて目に付いたものを紹介する。ひがしの茶屋街の広見付近は、人気があり相変わらず人が多い。今日は日曜日なので若い人が目立つ。(7月7日)



















メイン通りには、左手に金箔屋さんの系列の店が、金箔入りのたこ焼きを売っていたが、熱くなってきたので金箔入りの「かき氷」も売り出した。



















ここら辺りの店の軒先に「ツバメの巣」があり、ツバメの子が顔を出している。あちこちにあるので、観光客の注目を浴びている。



















店先には高級そうな伝統工芸品が置かれており、どんな店なのか入りたくなる。



















夏の風物詩の「風鈴」が古い建物の前に掛かっている。



















ひがし茶屋街は200年前の古風な茶屋街の佇まいが残っている全国でも珍しい所で人気がある。



















メイン通りを突き当たって左に曲がると、鮮やかな紅殻色の建物があったが、ここは最近できたばかりの店で、やはり金箔屋さんがやっている「あぶら取り紙」専門の店がある。
店内には、いろいろな包装紙に入った「あぶら取り紙」が並べられていた。手頃な値段の「おみやげ」として売られている。

































その向かいの角には、出格子や玄関の格子戸の上に透かし彫りが入り、白い暖簾がかかった風流な店構えの所がある。



















店内には、九谷焼やガラス、鉄などで作られた洒落た器などが並べられていた。



















「蘭稜王」の絵の前に、江戸時代に作られたという「鐙」は象嵌で作られ、珍しく螺鈿が埋め込まれていた。

2019年7月17日水曜日

西茶屋街付近の様子 2019初夏(2)

西茶屋街付近の様子 2019初夏(1)の続きで、その隣には最近まで芸妓さんがいる「お茶屋さん」だった所を改修した新しい店がオープンしていた。店の前にはオープン記念の花がずらりと飾られていて、ピンクの暖簾も栄えていた。



















ここには「人形博物館」として風情あるお茶屋の部屋の雰囲気に合わせて、古典人形、市松人形、金沢ゆかりの人形など、様々な伝統的人形を展示、紹介しているという。





パンフレットより













「美音」の建物の2階には、日よけのための簾がかけられていた。また家の前にはいろいろな形状の「灯り」があり、暗くなるとこの「灯かり」が風情にある雰囲気を醸し出す。9月に開かれる「金沢おどり」などのポスターが貼られていた。その隣の「華の宿」の建物は、現在改修中である。現役の芸妓さんが入ったので、夜に踊りを見せるように店の中も大幅に変えるのであろうか?



















向かいの「明月」にも2階には日除けの「簾」が掛かっており、1階には玄関の両側に「竹垣」が張られられていた。「乃莉」さんの看板もひときわ目立つ。



















西茶屋街の「検番」は大正ロマンの香りはする古めかしい建物で、薄青い色の下見貼り板に、下のほうは「笏谷石」か?屋根の上には尖ったポールが建っているが、そのころの屋根のデザイン的なアクセントか?玄関前の石橋もなかなか風流である。
























玄関の柱の間のアーチ状や軒先下の細かい模様 なども凝っている。
























下の写真は、以前ここの「検番」の中の舞台でやっていて私も参加した「夏まつり」の様子。



さらに奥に入っていくと「竹箒」を並べたような塀や、蓮華風の灯篭などがある家があった。



















この辺りの道路は、茶屋街らしく細い道路は入り組んで迷路のようになっている。


2019年7月13日土曜日

西茶屋街付近の様子 2019初夏(1)

西茶屋街付近に用事があり少し歩いたが、その時にちょっと目に付いたものを紹介する。
「神明宮」では、「茅の輪くぐり」が置かれていた。これをくぐると心身を清めて災厄を祓い無病息災を祈願するというもので、唱えごとを唱えながら8の字にくぐりぬけて拝殿にお参りする。最近、「茅の輪くぐり」が置かれている金沢の神社(尾山神社、石浦神社、宇多須神社など)が多くなったようになったような気がする。


































この神社の隣に、古いちょっと寂れた民家があったが、それを改修してきれいな洒落た「町屋」に代わっていたが、建物の上の看板には「懐石 かめや」と描かれていたので、高級な食事処ができるのか?
























「西茶屋街」の入口に、ここの茶屋街で少年時代を過ごした、大正時代のベストセラー作家の島田清次郎の作品の「地上」の一部が描かれている。



















茶屋街の入口の右手の最初の店である「諸江屋」は、江戸時代からある老舗で金沢で有名な和菓子屋さん。以前ここには、うどん、そばの「お多福」総本店があった所だ。



















江戸時代から茶の湯が盛んだった金沢だが、お茶につきもののお菓子「落雁」の看板と古めかしい店の名前が入った「灯り」が付いていて趣がある。



















「諸江屋」の隣にある「ほうずき庵」という店には「真田紐」を使ったいろいろなグッズが並べられていた。「真田紐」とは、真田昌幸、幸村が九度山に蟄居中に、信州上田地方で作られていた紬の織技を取り入れて完成させたもので、幸村公は家臣に農耕の傍らこの紐を織らせて、生活の足しにしたり行商をさせて諸国の様子を窺っていたという。行商の際の売り文句が「真田の作った強い紐」であったことから、そう呼ばれているらしい。




















茶屋の古い佇まいの2階にこの紐が並べられていたが、染められた後の 乾燥している様子を表しているのか?



















角の土塀の所に犬矢来があり、高い松の木の横にその「ひこばえ」か、小さな面白い形の松の葉と下の方を照らす「灯り」が置かれている洒落たコーナーがある。
























そこの道を少し行くと芸妓さんの守り神として「妙法地蔵菩薩」という小さな地蔵さんが置かれている。別名は火除地蔵とも呼ばれている。



















さらに奥に、蔵と思われる建物があるが、上の方は下見張りの板、腰塀は石貼りで、下部はいろいろな色の石で積まれた石垣となっている。他にもこれと同じ作りの蔵があったが、いつ頃の建物なのか?