2023年6月27日火曜日

東京 深川(1)深川不動堂

 東京に急用ができ日帰りで行ったが、2時間ほど空き時間ができたので、地下鉄「東西線」に乗って「門前仲町」で降りて、「深川不動堂」と「富岡八幡宮」に行った。以前には「深川・清澄庭園」に行ったことがあるが、その近くである。

https://kanazawa-burari.blogspot.com/2012/12/blog-post_22.html

「門前仲町」の駅を出て大通りを渡ると、すぐに「深川不動堂」が見えた。













その建物の前には、駅の名前の通り「門前町」らしい風情のある構えの店が並んでいた。



















下の写真の骨とう品屋の店には、明治時代に作られたという「桐たんす」の上にレトロな茶碗や皿、そして明かりなどが置かれていた。他にコーヒーや抹茶、ソフトクリーム、わらび餅などを食べながら、ゆっくり一服できる店も多く並んでいる。


















「日本一固いせんべい」と描かれていたので、ちょっと面白いと思い後で買った。家に帰ってから、歯が折れないか注意しながら食べた。


















「深川不動堂」は成田山新勝寺の別院で、厄除け・開運・安全祈願の参拝客を集め、1・15・28日は縁日で参道も境内も大いに賑わうという。本堂は1862(文久2)年に建てられたが、震災や戦災などで焼失し、その後に千葉県龍渕寺から移築されたものだという。



















境内前の立派な灯篭


















正面の木造の建物は旧本堂であるが、平成23年に開創310年事業で新しく建立された参道の左側にある建物が本堂で、御本尊などはこちらに遷座された。外壁はお不動様のご真言に包まれた「真言梵字壁」というもので、仏の力に守られた建物となっている。


















その横には手水鉢があるが、「深川竜神」と呼ばれ農耕儀礼の神様で、農業や水産業が豊かになることを祈り勧請されたという。


















境内の一番手前に大きな香呂があり、そこで線香に火をつけて灰にさして、頭や顔に煙をかけてよくなるようにと祈ったがもう手遅れか。

























旧本堂で、丁寧にお参りしてきた。


















白い大きなわらじにお守りがたくさん掛けられていたが、これは足腰の息災を願うお守りだという。
























境内の右側には、総欅葺きの社殿は成田山新勝寺にある「成田山開運出世稲荷」の分霊があり、開運成就のご利益があるという。


















旧本堂の右側に「祈祷殿」があるが、こちらでは車の交通安全を祈願する場所である。

2023年6月23日金曜日

梅雨時の卯辰山 2023(2)眺望の丘 見晴台 remref

 梅雨時の卯辰山 2023(1)花菖蒲園の続きで、その後、さらに上に上がり「眺望の丘」に行った。ここは、2,3年前にできたばかりで、鬱蒼と茂っていた木々がとり払われ、金沢市街の北西部の美しい眺めが見渡せる眺望台に変身した。



















こちらからは、金沢市街の北西部方面の家並みが見えるが、今日は厚い雲がかかり、内灘方面の日本海がきれいに見えない。本来は青く光った海が見えるはずである。手前の紫陽花の花と遠くの景色が調和して雰囲気の良い所である。


















他にもいろいろな花が咲いている。


















こちらは遠くの深い緑を背景に、深紅や白、紫などの色の紫陽花がきれいに咲いていた。


















お花畑の中の小径も歩きやすくなっており、トイレや休憩所も完備され、花と絶景を見る最高のロケーションである。


















さらに奥に進み右側に曲がると、昔、ヘルセンターがあった場所は広い「見晴台」に変身していた。ここから南方面を見ると、大きなベージュの建物は「金沢大学病院」で、その後方には「大乗寺山」と「野田山」、さらに後方には白山連邦の山々が連なっている。


















南西方向を見ると、両脇の高層ビルは左に「北國新聞ビル」右側には「日航ホテルビル」が見える。左側の手前の森は「金沢城公園」で、中央の手前のビルは浅野川梅の橋近くのマンションである。


















南東方向には、右側の緑の台地は「小立野台地」で、平地には「浅野川」と「山側環状線」が走っている。


















さらに東方面には、雲に隠れた「医王山」とその手前に「戸室山」があり、右側の小さく見える茶色の建物は角間にある「金沢大学」のキャンパスか(?)手前の山のかなり上まで家並みがあるところは鈴見台の住宅である。


















東方面の近くの住宅地を見ると、「山側環状線」から「小立野台地」に上がる大きな道路とトンネルが見える。「小立野台地」に見えるビルの中に昨年オープンした「石川県立図書館」も見える。


















この見晴らし台に上方にある羽が風で面白い回り方をしているオブジェがあった。

次に卯辰山を降り、天神橋の手前を左に曲がると、時々姪がケーキを買うという店を思い出して、どんな店なのか行ってみることにした。天神橋と常盤橋の間の浅野川沿いにある「remref」という店で、21世紀美術館の横にある「ohuku」の姉妹店だという。


















店内には小さいながらも多くのおいしそうなケーキやスイーツが並んでいた。


















今日は平日の午後なので、お客さんはほとんどいなかったが、駐車場が広いので、たぶん休日には、スイーツ好きな若い人でいっぱいになるのであろう。


















アイスコーヒー(エチオピア系)とマンゴーのスイーツ


















ホットコーヒーとライチのタルト


2023年6月19日月曜日

梅雨時の卯辰山 2023(1)花菖蒲園 

 今年も梅雨入りし、卯辰山の花菖蒲や紫陽花がきれいに咲いているということで、また見に行った。梅雨に入ったが今のところ雨が降った日はわずかで、晴や曇りの日が多い。

この花菖蒲園は、金沢400年を記念して昭和57年に造園された。花菖蒲は、日本古来の植物で古くから梅雨に咲く花として親しまれていて、年々品種改良が進められている。その系統には江戸中期から江戸を中心に改良されたきた江戸系、伊勢松坂地方で発達した伊勢系、江戸末期に江戸の花菖蒲が熊本に運ばれて改良された肥後系と呼んでいるが、その後は、各系統間の交配を行い多種多様な花菖蒲が見られるという。






































水辺には木の橋が架かり、緩やかな傾斜には段々畑になっており、階段や畑の中に歩道が付けられ、そぞろ歩きができるようになっている。しかし、以前この辺りには、花菖蒲がたくさん咲いていたが、今年は全く咲いていない。そういえば、先日の新聞に載っていたが、今年はイノシシの被害あっているという。



















こちらの大きな木に咲いている白い花は「タイサンボク」か?






































こちらの高台からは、わずかに市街地が見えるのは十間町の病院や武蔵の「エムザ」のビルか?
























「アヤメ」や「ハナショブ」、「キショウブ」などの案内板があった。






























































こちらには、紫陽花も多く咲き誇っている。青やピンク、白など多くの色の紫陽花が咲いている。紫陽花は土壌で花色を変えるという性質があり、ピンクの花はアルカリ性の土壌で咲き、青い花は酸性の土壌で咲く。


















この時期は街中でも多くの紫陽花があちこちで見られる。もっとも梅雨の時期に似合う花である。


































































こちらはガクアジサイ


















以前に行った「本興寺 あじさい寺」のブログ


2023年6月16日金曜日

13代藩主の能登巡見巡り(12)石動山②

 前回の13代藩主の能登巡見巡り(11)石動山①は、石動山の歴史について紹介したが、今回は、資料館で見た「仏像」やその他の展示物について紹介する。また、昭和53年に国の史跡指定されて以来、石動山の整備がなされてきたが、その様子について説明する。


















江戸時代後期の「木造毘沙門天立像」と「虚空蔵菩薩像」(石動山天平寺蔵)



















江戸時代後期の「木造不動明王立像」
























前田利家寄進の「木造十一面観音像」
上記の4つの像は2007年の能登地震により破損したが、その後修復されたもの
























「五社権現神輿」は石動山5基にあったうちのひとつで、制作年代は飾鳥に刻まれた1776(安永5)年と推測されるという。


















「大宮坊」の入口で、この「大宮坊」は石動山の中心的な坊で、最盛期(中世)には360余坊、江戸時代には58坊すべてを支配した別当寺(寺務を取り仕切る本坊)として最も高い格式と権威を有していたという。ここでは、一山の支配・運営、加賀藩や京都の本山との交渉、年中行事などのぼうだいな寺務が処理されていた。














































伊須流岐比神社の入口の標柱と石段、鳥居


















鳥居をくぐると拝殿があり、もとは権現堂と呼ばれ、1701(元禄14)年に建立され、五社権現の5つの神興が安置されていた。


















その背後には、明治の初め石動山山頂の大御前にあった本社(大宮・白山宮)を移築した本殿がある。大宮、白山宮、梅宮、火宮、剣宮に祀られていた五社権現を合祀したものである。本殿は1653(承応2)年に前田利常の寄進で建立されたものである。


















「五重塔跡」は、昭和52年の発掘調査により発見された。1582(天正10)年の石山合戦で焼失したのち再建されず地中に埋もれたままであった。礎石に生々しい焼痕が見られるほか、周辺から焼けただれた木材、灰などが出土し、兵火のすさまじさが表れている。石動山の本山であった京都の勧修寺の文書には、1416(応永23)年に同寺別当職の慈尊院実順が導師を勧めて塔供養が行われたとある。
































「多宝塔跡」


















「梅の宮跡」は五社権現のひとつで、鎮定大権現と称し祭神を天目一箇命、本地仏を勝軍地蔵菩薩としている。1674(延宝2)年に再建されたもので一辺11m、高さ1mの正面を石積みした基壇に整然と礎石が配されている。


















7月の頃なので、ここにしかないヤマユリ「石動山ゆり」と呼ばれる珍しい花が咲いていてた。白色の大振りの美しい花で、内面に黄色の帯と紅色の斑点が見えた。


















石動山は、能登では最も広いブナ林を持った山としても有名である。(大御前参道)






「自然人」より