2021年7月29日木曜日

堀川町界隈(2)久昌寺

 堀川町界隈(1)の続きで、その後、JR線と大通りの交わった近くにある「久昌寺」に行った。山門横に「久昌禅寺」の門柱は、故中川一政画伯が松戸家の菩提を弔うために揮毫したものだという。反対横には「不容葷酒入界〇」の標柱が置かれていた。大乗寺前に置かれていた標柱と同じ意味だろう。




















その隣には少し剝がれている古い石碑があったが、「丹後国 ○○山 ○○寺 ・・・」の下に句(?)が描かれているようだ。
























山門をくぐると、玄関は白い金属で覆われた唐破風の屋根の本堂がある。
この寺は、慶長15年(1610)加賀藩主2代目、前田利長公夫人、玉泉院(本名、永)が自分の義母と織田信長公、久庵桂昌大禅定尼の菩提をこの加賀の国で弔う為にと願って、信長の子孫である僧、明巌誉傅和尚に頼み、夫人自ら建設資金を出し建立にいたりました。 そこで久庵桂昌大禅定尼の戒名の「久」と「昌」を頂き、「久昌寺」の寺号とされました。(HPより)



















本堂の右脇間に、曹洞宗の開祖、道元大師の尊像とその周りに三十三体の観音様が安置されている。この道元大師、観音様に「縁が結ばれるように・・」と、(さるこ)に自分の名前と相手の名前を書いて抱き合わせ、紅白の糸で結びこれを奉納すると良縁に恵まれるという。






「パンフレット」より
















左側には、大きな「六地蔵像」のお堂がある。この「六地蔵像」は藩政期の寛永年間、其れまで安江木町にあった張りつけ場(刑場)が下安江木村に移され、その仕置場への道すがら罪人たちの六道の衆生を化導せんがために安置されたという。地蔵の石材は珍しく赤戸室である。



















その「南無六道」化延命地蔵願王大菩薩」の説明書きが記されていた。



















その隣には、「歯痛治し地蔵さん」が置かれていた。
























この観音様は、太平洋戦争中、中国河北省方面に参戦した第百九連隊の戦友有志により、英霊を弔うとともに、世界平和を願い建立された。「山吹」とは砲兵の襟章の色である。
























その横に、下方に像(普賢菩薩)と獅子(文殊菩薩)を型取り、その上には稲荷観音が載っているという面白い石造物があった。この寺の人によるとこの石造物は侠客が建てたと言っていた。





































本堂と新幹線・北陸鉄道の高架下に墓地がある。



















この墓地の一角には、加賀の刀鍛冶、「辻村兼若」、「松戸勝国」など「松国家」の墓が並んでいる。


「辻村兼若」の墓で、兼若の初代は美濃出身で、2代が藩主利長に招かれた。刃文の名工として加賀新刀を確立し、「加賀正宗」と称された。代表作は「越中守藤原高平」(県指定文化財)がある。
























「橘勝国」の墓で、加賀刀工の2代陀羅尼家重の子で、寛文年間に「橘勝国」に改名。刀には威厳があり、三本杉の刃文を得意とし、「辻村兼若」とともに加賀新刀の双璧と讃えられた。
























この寺に刀工の墓地が集まっているのは、刀鍛冶職人が近くの旧鍛冶町に多く住んでいるからであろうか?

2021年7月24日土曜日

イオンモール白山 オープン

今回は、昨日オープンした「イオンモール白山」に行ってきた(7月20日)。石川県としては「河北イオンモール」、「コマツイオンモール」に次いで三番目の巨大ショッピングモールであるが、私としては先の二つは行っていないのでよく知らないが、さらに素晴らしいショッピングモールだという。建物の中は今のコロナに合わせて、特に換気に注意を払っているという。




















家から約20分くらいで着いたが、午前9時からオープンで10時ごろになったが、すでに駐車場はかなり混んだ状態で、空いた場所を見つけながら止めた。建物の周り全体が駐車場なので、どこで止めたかしっかり覚えていないと後が大変だ。



















館内は3フロアがあり、北陸最大という約200専門店があり、エンターティンメントや日々の生活を充実させるファッションや雑貨などが取り揃えられ、さらに多くのレストラン街が備えられている。「イオンシネマ」の映画館、「ジョウシン」の電気店、「ゼビオ」のスポーツ店などは広いスペースをとっている。「ユニクロ」などは後日入るらしい。
























今回は、どんなところか雰囲気を味わうのが目的で、あまり買うのを控えるようにした。どこにどんな店があり、何をどこで買うか絞っていかないと、あまりに広すぎてうろうろして時間がかかりすぎるだろう。



















途中の大きな通路には、緑の木が植えられ一服できるスペースも備えられている。

































昼時になったので、フードスペースに行くと多くの人がそれぞれの店の前に行列になっていた。どこの店もおいしそうなものが並べられていて、迷ってしまう。



















結局、中華料理店で「五目そば」と「ギョウザ」を注文したら、ボリュームたっぷりの量が出てきた。大変おいしかったが、満腹になった。



















私はまだやったことないが、e-スポ-ツや30mを超えるネットアクティビティなど体験が楽しめるという最新の体験型アミューズメント施設「ミライノ」は、キラキラした派手な店前である。



















「イオンスタイル館」のおもちゃ屋の怪獣が動いていて、「写真を撮ってください」と描かれていた。



















「イオンスタイル館」の1階は従来の「スーパーマーケット」があり、金沢港や橋立港で水揚げされた新鮮な魚や能登牛、地元の野菜が並べられているという。

































専門店の中に「大口水産」も店を出しており、近江町市場の店とは一味違った雰囲気で新鮮な魚やおいしそうな刺身が並べられていた。



















一服しようと思ってカフェに行くことにしたが、「スターバックス」はいっぱいの人だろうと思い、洋服や生活雑貨、インテリアなどを販売している店に併設している所で、コーヒを頂いてゆっくりした。



















店内にはクラシックなテーブルやスタンド、時計、オーディオ機器などが置かれていた。














2021年7月19日月曜日

堀川町界隈(1)

 前回は、「昌永町・京町界隈」を歩いたが、今回は「中島橋」の向かい側にある「堀川町界隈」を歩いた。ここは、東大通、浅野川、JR線に囲まれたところで、「金沢駅」には近いが、まだ古い家並みが残っている地帯である。駅から東大通に入ってすぐに大通りがあるが、この通りの先は浅野川に沿って、粟ヶ崎・内灘に通じている。




















大通りの左側には、今はコロナ禍で休業中だが、先輩に誘われて時々行くカラオケの「ホームラン」が入っている大きなビルがある。その先には「久昌寺」というお寺があるが、ここは次回に紹介する。



















交差点「堀川町北」を右に曲がると、前回渡った「応化橋」が見える。その先を行くと「乙丸陸橋」方面になる。



















右交差点「堀川町北」を曲がって、さらにすぐに曲がると、細い路地が二手に分かれる場所がある。真ん中の家は両側が路地になっているが、藩政期からある路地は細い道が多いので、このような所が他にもあるだろう。ここで、行き先を間違えると迷ってしまう。



















右手の路地を進むと「堀川町」の標柱があり、座布団は載っていた。「粟崎・大野等の港から、舟で金沢へ荷物を運ぶため、元和のころ浅野川を掘り開いたことから、このあたり一帯を堀川と呼び大いに賑わった」とあった。
























この標柱の脇には、大きな店をやっていた町家と思われる家を改修していた。奥の部屋には緑色の壁が見えたが、立派な商家だったのかもしれない。どんな風に改修されるのか?



















隣のある町内会の「堀川会館」も改修していた。



















この町屋は、薬屋と思われるが「高町家 2重庇」構造で、1,2階とも格子戸が入り、1階の庇の間と2階の壁は黒漆喰になっており、昔の店の看板がまだかかっている。



















こちらは、先のものより間口が小さいが同じように「高町家 2重庇」構造で、2重庇の間にはガラス戸が入っている。このような町家がまだ残っている所である。






この辺りは、非常に細い路地もいくつか残っている。



















2021年7月14日水曜日

能登羽咋市 豊財院 神子原棚田

 「千里浜 道の駅」から山間方面へ数km走ると「豊財院」というお寺がある。





















石段を上ると、山門前の両側に鮮やかな群青色の幕が張られた「地蔵堂」がある。

































山門は古めかしく、珍しく中央に小さな梵鐘が吊られている。この梵鐘(はんにゃの鐘)は、1766(明和3)年に鋳造されたもので、自見比丘尼、真了比丘尼と大工の吉兵衛の悲恋物語あるという。



















鎌倉時代、瑩山紹謹禅師が草庵を結び、能登初の禅風をもたらしたのが豊財院の始まり。伝説では瑩山禅師が当庵より白狐に導かれ、永光寺を開創したといわれています。 兵乱などにより荒廃した時期もありましたが、江戸時代に大般若経を血染めで書き写した11世月澗和尚の時に再興されました。大正年間(1912 ~1926)に火災により堂宇を焼失しますが、その後再建され現在に至っています。(HPより)




















山門の左の階段を上がると、白い建物「宝仏殿」があるが、休館であった。このお寺の寺宝には、平安中期作の木造聖観世音菩薩立像・馬頭観世音菩薩立像・十一面観世音菩薩立像は国指定重要文化財になっている。 歴代住職やその弟子たち7人の血染めで書写した血書大般若経や、愛憎物語の残る釣鐘は羽咋市指定文化財となっている。




















本堂の後ろの方に行くとお墓が集められており、そのまた後方は、鬱蒼とした竹やぶの森になっている。




















このお寺は高台にあり、近くの下の方には、所々に民家が密集している所があるが、アズマダチの大きな民家やお寺の屋根も見える。




















また、遠くには羽咋市街地が一望でき。能登の大自然が満喫できるところである。











415号線をさらに奥に入ると、地元住民が出資してできた農産物直売店「神子原の里」がある。





















神子原地区は、能登野菜に認定されている「神子くわい」や、ローマ法王に献上したことでも知られるブランド米「神子原米」などが育てられている自然豊かな地域である。



「唐戸山」のお酒が並べられていたが、能登は相撲王国で、その中でも「唐戸山」の神事相撲大会は古来からやっており有名である。私の知っている限り能登生まれの相撲取りは、江戸時代の横綱「阿武松」をはじめ、最近の横綱「輪島」、「栃乃洋」まだ現役の「遠藤」などがいる。
























この店の外側一帯には、棚田が広がっていて田園風景が見える。奥能登の曽々木付近にある「千枚田」とともに、世界遺産「能登の里山里海」に登録された代表的な所である。



















棚田散策コースがあり、3km、約1時間掛るという。神子原米が作られている棚田で、今は田植えが終わり緑一色となっているが、9月の刈り取り前の頃には黄色一色になるのも見ごたえがある。