2021年3月28日日曜日

2021年3月 尾山神社・長町武家屋敷ぶらり(2)

 2021年3月 尾山神社・長町武家屋敷ぶらり(1)の続きで、「せせらぎ通り」から武家屋敷の土塀が最も並んでいる路地に入った。ここは藩政期からある道で、この先がクランクしていので、先が見えない迷い道といわれている。幅は3間位しかない細い道である。

























この道の途中に、トイレもある小さな公園がある。そこにはピンクの梅(?)と目立つ深紅の椿が咲いていた。
























藩政期には金沢城下は武士系屋敷が70%くらい占めていたが、現在でもこの辺りは武家屋敷の長い土塀が連なって残っているところである。厚い土塀の中は砂利を突き詰めて堅牢にに作られている。下の方には石を半割(胴割)にして積まれており、上部には板屋根を架けている。
























その土塀・石垣の作り方が詳しく案内板に描かれている。土塀の内部の構造や「版築工法」ついても描かれている。
土台の石垣の角部には赤戸室や青戸室なども使われている。












































ここの家は、唯一武士の子孫が住んでいるところで、土塀に屋敷そして前庭に大きな木があり、昔の武家屋敷の面影を残したところである。



















またこちらは、手前の用水と武家屋敷の土塀と中の庭の木がマッチして素晴らしい景観となっている。



















まだまだコロナの影響で人は少ないが、今日はお菓子の村上の「長屋門」の店が開いていた。










2021年3月23日火曜日

2021年3月 尾山神社・長町武家屋敷ぶらり(1)

今回は、いつもよく行く「 尾山神社・長町武家屋敷」をぶらりと歩いた。コロナ禍で観光客も少なかった。尾山神社内では、この時期に咲く梅が咲きほころんでいた。




















こちらは白い梅





































雨上がりなので、ピンクのきれいな梅の花びらの下にはしずくが付いていた。



















神門の横の隅にも梅が咲いている。



















神門の前の階段下の鳥居横に「西内惣構え」の案内板があり、明治6年に尾山神社が加賀藩初代前田利家を祀るために創建され、同8年までに全面の惣構えは大幅に埋められ水路となったが、昭和20年代に暗渠化され今日に至っていると描かれていた。ここでは昭和初期の頃の景観を映した写真を記載している。





















香林坊の旧日銀と東急ホテルの間の路地を通り、坂を降りると鞍月用水(西外惣構堀)に橋があり、欄干の形をした石造物に「賑橋」と描かれていた。この橋は藩政期にはなかった。また今の旧日銀跡の所には、藩政期に「高畠家」とがあるが、ここで「加賀騒動」で有名な真如院の子(八十五郎)が幽閉死した所だという。

















その向かいの公園前に、経済産業省から「はばたく商店街30選」に選ばれたとして、せせらぎ通り商店街のマスコットキャラクタ「せさミィ」が飾られていた。
























今日も鞍月用水は満々と水が流れている。
























ここら辺りは、現在の惣構跡の堀と土塁があった名残が金沢でも一番わかるところだ。土塁の高さが9mくらいあったというから、洒落た「めがねとカフェ」の店の建物の高さより高いことになる。現在は建物の裏道へは2階から出ることになる。













2021年3月19日金曜日

町家周遊ツアー 材木町界隈(3)Kenroku 旅情 玉泉園

 町家周遊ツアー 材木町界隈(2)横山町の町屋ゲストハウスの続きで、さらに歩いていくと、ここも町家を改修し、日本の古民家で宿泊するという「Kenroku 旅情」に行った。

 

ここは「こんぐるみ」という会社というかプロジェクトチームで企画した事業サービスで、コンセプトは「お客様の友人」になることで、金沢に遊びに来た友人をもてなすための活動だという。そしてもし金沢に住みたいという友達がいれば、住まいや仕事の世話もするという。貸切宿「Kenroku 旅情」もその一環という。






「Kenroku 旅情」パンフレットより




中に入ると、お茶屋の芸妓の舞いを見る場所のようなお座敷で、鮮やかな紅殻色の壁や床の間があった。












この部屋から見える四季折々の花や木々が見られる坪庭












こじんまりしたお風呂も洒落たバスタブやシャワーがあり、すばらしい。


























2階には、こちらも色鮮やな群青の間があり、襖の文様も素晴らしい。





























玄関側のベッドルーム
























2階からも手摺のついた縁側から坪庭が眺められる。



















帰りに、ここのマスターがでてきて丁寧なあいさつされた。



















この後、ガーデンレストラン「かなざわ玉泉邸」に入り、ここの支配人より「玉泉園」の歴史や庭園や茶室についての説明を聞いた。



















そして時間もなかったので、簡単に庭園を周った。私も以前2度ここを訪れているので、ある程度は知っていた。冬季は休園になっていたので、大雪や強風もあったせいか木の枝などが折れたままになっていた。




今回の「町家周遊ツアー 材木町界隈」は、最後にここのガーデンレストラン「かなざわ玉泉邸」で食事をするはずだったが、コロナ禍により残念ながら弁当となったが、普段食べられないおいしい弁当で満足した。


2021年3月15日月曜日

町家周遊ツアー 材木町界隈(2)横山町の町屋ゲストハウス

 町家周遊ツアー 材木町界隈(1)越村邸 ディキシット邸の続きで、その後、横山町の町屋ゲストハウスに入った。道路から見る家の姿は、典型的な金沢町家スタイルである。1階は格子戸になっているし、2階は格子窓そしてサガリの袖壁、カゼガエシがついている。玄関には格子デザインの暖簾が掛かっていた。




















入ると板の間になっている茶の間に洒落た箱階段があり、レトロな箪笥がすっぽり収まっている。道路側は店の間だったのか?



















昔、自分の家にも、このようなものがあったので懐かしい茶箪笥。(写真がぼけているが)
























トオリニワの上のほうは吹き抜けになっていて、上からの明り取りになっている。




茶の間の向こうには、お座敷がありきちっとした床の間がある。この辺りは「兼六園」に近いので、金沢の古民家に泊まってみたい外人観光客向けのリーズナブルなゲストハウスなのだろうか。



















座敷の土間の向こうには、こじんまりした坪庭がある。



















2階の居間兼寝室と思われる部屋からも、風流な手摺がついた廊下から坪庭が眺められる。
























その後小姓町方向に行くと屋根が銅板で、木戸に面白い透かし彫りになっている風流な門がある町家があった。ここはレストラン&イン「睦」と描かれた看板がかかっていたが、やはり観光客目当て宿泊施設だ。



















すぐ近くに珍しく背の高い木造2階建てで、窓の形もレトロな建物があったが、古い病院のように見えたが(?)

2021年3月11日木曜日

町家周遊ツアー 材木町界隈(1)越村邸 ディキシット邸

今年も、フードピア 町家周遊ツアーに参加した。今回は材木町界隈ツアーで、橋場町の「大樋美術館」に集合した。コロナ禍でもあり参加者は限定されていて8人だった。講師は金沢町家研究会事務局で金沢美大の坂本教授である。




















「大樋美術館」の新しい玄関横の古い建物は、1860(万延元年)年で「旧森快安邸・医師・禄高200石」のもので、塀と屋敷の入り口がほとんどくっついているが、道を広げたときに塀を下げたのであろうか?大屋根の下に「大樋長左衛門」の看板が掲げられている。



















寛文年間の金沢の絵図を見ながら歩いた。この辺りは東内外惣構えがある所である。





藩政期からある材木町通りには、古い町家がまだかなり残っているところである。最初に見たのが「高町家」つまり2階部分が高い町家である。軒下に出桁の下と腕木がある。他に隣からの延焼を防止する袖壁や店先の強い日差しや風雪を避けるサガリがついているのが特徴である。




















また、1階の屋根の上に「土いた瓦」というものがあるが、雪の積もるのを防止するためだと聞いた。ここは鱗状の文様になっているが、ほかにもいろいろな文様があるらしい。



















こちらは2階が低い低町家である。明治期の頃に主流だったという。屋根は、以前は石置き屋根だったが、大正時代くらいから瓦屋根に少しづつなってきたという。軒下は斜めの補強板がついている。



















こちらは大きな近代和風住宅で、二つの入り口を持ち、よく見ると片方の門の屋根は銅板の上に瓦屋根が載っているし、右側には高い蔵もある。


こちらは現在では数少なく残っている幕末の武家屋敷である。もとは加賀藩定番馬廻組200石の山森家の住宅で、現在は越村邸になっている。道路に沿って土塀が張り巡らされ、庭にも老木も多い典型的な武家屋敷の構えである。

「アズマダチ」の大きな漆喰の白壁に梁や束、貫を表し、格子の模様を構成している。江戸時代はもっと低く緩い勾配の屋根だったのが、明治になって2階にも部屋を作り、高くなり勾配がきつくなったと思われる。現在もここで普通に住まわれているので、残念ながら中の部屋などを見ることができなかった。

門構えの松は見られなかったが、庭には実のなる木が植えられているという。以前見たときは土塀がだいぶ痛んでいたが、今はすっかりきれいに補修されていたし、金沢の風物詩の「薦がけ」がなされていた。



















続いて東内惣構え掘りの近くに「ディキシット邸」の建物を見た。ここは、外国人夫婦が60歳を超えてから、金沢の町並みにほれ込み、空き家だった町家を買って改修し住んでいるという。外観は非常にきれいで雰囲気がある建物である。



















後ろのほうは蔵になっていたが、部屋もいろいろ改修し、空調や電気設備も整え快適な暮らしになっているのであろう。日本で暮らしたいという外国人が、こういう古い空き家を改修して住んでもらえれば、町も活性化しきれいになるだろう。もっとPRしてもらいたいものだ。



















玄関に横には、井戸があるのかかわいい小さなくみ上げポンプがついていた。