2021年5月16日日曜日

十貫川 八幡神社 八坂神社

今回は、ここも私が時々散歩している付近を流れている「十貫川」と、その脇にある「八幡神社」、「八坂神社」について紹介する。

野田山を取り囲むように流れている「長坂用水」より水を取り入れている「十貫川」は、その取り入れ口から「泉が丘高校」の裏にある「八幡神社」辺りまでは暗渠となっている。

「八幡神社」前に架かる橋の少し先から開渠となって用水が見える。




















この橋を渡ると、「八幡神社」の鳥居、拝殿・本殿がある。



















本神社の創立年月は不詳であるが、往古より一村の産土神として鎮座し、明治維新の神仏混淆の禁止に依り、氏子は鋭意神社の興隆発展及び種々境域整備に務め、明治13年に村社に列せられ、同39年11月29日神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和45年6月本殿等の会修築を行い、現在に至る。(HPより)



















ここで祀られている「応神天皇」は、弓の達人とされ、武の神や出世海運の神として崇められている。平安時代には天皇家を祖とする清和源氏が京都の石清水八幡宮を氏神としたことで、武勇の神として多くの武士から信仰を集め、一般の信仰の対象としても広まったという。






































拝殿前には大小二対づつの狛犬が置かれていた。







































大木も多くあり、住宅地の中の貴重な憩いの緑地となっている。
























「八幡神社」から「泉が丘高校」方向の先は、二手に分かれ本流は左に曲がる。
























そして「泉が丘高校グランド」を巻くように流れている。



















さらにくねくね曲がりながら「富樫」・「寺地」と「円光寺」の間を流れている。
























この橋の先の寺地方面を歩くと「八坂社」がある。由緒は正徳元年富樫家尚の創祀で祭神は元明天皇(牛頭天王或いは寺地天皇とも称す)とも伝承され、明治初年村社に列せられた(明治5年石川県神社書上帖所載)(HPより)
























総本社は京都の八坂神社で、金沢では「蛤坂」にあった鳥居が戸室石で作られた「八坂神社」は今は閉じられてしまった。ここは、こじんまりとした神社で、境内には灯篭、手水鉢や狛犬などが置かれている。



















屋根には「鬼瓦」や「丸瓦」に巴紋が付いている
















この辺りは、十貫川本流と伏見川からの分水が合流したり、また伏見川へ排水として分流しているところがある。



















そして寺地の住宅地を走り南大通にかかる「上有松橋」くぐり抜ける。

































そして「四十万通り」の「津田橋」をくぐり抜けて「伏見川」に注いでいる。
























この辺りは45年位前に「南大通」が開通し急激に住宅が広がったところであるが、それまでは田んぼや畑が多く農業用水が縦横無尽に張り巡らされていたところだろう。