2024年2月26日月曜日

旧四高の文化遺産の見学(2)旧四高の実験機器

 旧四高の文化遺産の見学(1)自然史資料館の続きで、その後、旧四高で使っていた「物理実験機器」を見学した。金沢大学が角間移転の時に、こちらに寄贈されたもので、「旧制四高」や「石川師範学校」など、金沢大学の前身校で使われていたものだという。この実験器具は、物理の基礎を学ぶためのものである。



















同じ大きさの4個の金属球がぶら下がっているが、右端にある球を横に引っ張って隣の球に勢い当てると、左端の球だけが横に触れ、残った球は止まったままという面白い動きがみ見れる。以前、中学か高校の時に見た記憶があるが、なぜだか分からなかった記憶がある。隣に説明書きがあり、よくはじく同じ質量の金属球同士がぶつかりあうと、お互いに速度を交換し、動いた球は止まり、止まっていた球は動いていた速度で動き出すからだという。


















小学生の時に「地球ゴマ」で遊んだことがある。この「地球ゴマ」は、安定性が非常によく、指の上や細いひもの上でもしっかり回っている。久しぶりに「地球ゴマ」に出会った。



















アクリル棒をティッシュでこすって静電気を起こすさせ、この棒を近づけたり離したりするとガラス瓶の中の「箔」が動く。小学生のころにした時期を衣類でこすり、頭にあてると髪が立つのを楽しんでいたことを思い出す。


















「音半動車」は、小さな穴が開いた金属球を4個つないである。近くで音を出すと、特定の音程の音に金属球が共鳴し、ひとりでに回りだすという。
























「ジャイロコンパス説明器」は、回転する物体には回転状態を保とうとする性質があることを示す器具である。
























確か「ヤジロベイ」と言って、重心が支点より低い位置にあるとぶらぶらと傾けても、いつまでもつり合って落ちない。


















「閉じ込められた液体や気体は一部に加えられた圧力は全体に等し伝わる」という「パスカルの原理」今でもよく覚えている。この実験器具から分かりやすく体験できる。


















「波動模型」は、横波などが伝わる様子を観察できる装置である。明治21年~38年頃


















「羅針盤」は、磁針がほぼ南北を指すことを利用して測定する装置。この器具は船用のものである。明治21年~38年頃


















「クロモスコープ」は、3枚の白黒写真乾板からカラー立体像を見る装置。大正6年


















「自動車の車体構造の模型」













2024年2月22日木曜日

旧四高の文化遺産の見学(1)自然史資料館

 金沢市銚子町にある「自然史資料館」で「旧四高の文化遺産」として旧制第四高等学校由来の物理化学実験機器や自然史資料(教育掛図、標本)などが展示がされていたのでどんなものかと思い見に行った。常設展示は、自然に関する教育普及や活動、標本資料の収集・保管、調査研究などを行っている。



「自然史資料館」の辺りはあまり来たことがなく、入り組んだ狭い道だったのでたどり着くまでに時間がかかった。


















周辺を見渡すと住居があまりなく、のどかな風景である。


















まずは常設展示館を見る。

「アジアゾウ」の骨格は、旧四高で使われていた明治~昭和初期の標本である。その古さが目立つが現在では手に入らないという。骨格は動物の体の基本で、骨格の観察から動物の体の仕組みや進化の様子を研究していたという。



















「イヌワシ」は翼を広げると2mの大きさのワシタカの仲間である。石川県の白山山系を勇壮に飛び交うことから県の鳥に指定されている。


















鳥の羽毛は、先祖のは虫類のうろこが変化してできた。鳥の前足は実際には小さいが、たくさんの羽毛が重なり合って広い翼になっている。翼の羽毛は規則的に並んでいて「風切」などの名前が付いていて風切羽がないと飛べなくなるという。


















金沢から見える山の代表は「医王山」と「戸室山」であるが、どちらも火山である。戸室山は50万~60万年前に地下の溶岩が盛り上がった溶岩ドームである。1800年前に山崩れで、山の西側がえぐれている。


















「医王山」は学生時代によくハイキングに行ったところで、「トンビ岩」や「三蛇ヶ滝」などは懐かしいところである。名前の由来から様々な植物が生育し、「薬草の山」として知られている。





































高校1年生の時の「トンビ岩」や「三蛇ヶ滝」の写真


石川県の地質の分布図が展示されていた。比較的新しい金沢や南加賀の平野地の灰色部分は手取川が運んできた砂利や砂・泥などがたまってできた沖積層になっている。今回の地震の被害が大きかった奥能登は、砂・礫・泥・火山灰の地層が多い。羽咋から南の海岸沿いは砂丘となっている。白山山系付近や奥能登の南部は1億年前以上の古い火山岩の安山岩溶岩などが多くなっている。


この「ダイオウイカ」の標本は、石川県の能都町で2016年に捕らえられたもので、全長が4m20cmもある国内で展示されているものとしては最大級であるという。


















2024年2月13日火曜日

2月初旬の犀川緑地公園の風景

 気が向いたときに時々散歩している「犀川緑地公園」をまだ寒い中歩いてきた。

今日はかなり曇っていて「戸室山」がうっすらと見えるが、その後方の「医王山」は全く見えない



















1月下旬に降った雪が、まだ残っている。


















ここに鳩が地面の何かをつついているようだ。よく見ると、別の羽の白い小さな鳥もいた。


















地震で折れた枝などが所々に集められていた。
































小さな松ぼっくりのようなものが木の枝に付いているのと木の下に散らばっているのとあったが、この木は何の木だろう?
























この辺りの場所だけ、非常にきれいな苔が生えていた。近くで作業をしている人が「私がいつもこの辺りを世話しているよ」と言っていたが近所の人らしい。こういう人がいるからこの公園はいつもきれいなのであろう。


















濃いピンクの「サザンカ」咲いていた。































この犀川のほとりは、春になったら満開の桜できれいになる所だが、今は全く木の枝だけになっている。

2024年2月9日金曜日

地震1か月後 兼六園の様子

今回は、2月3日(節分の日)に、歌劇座で講習会があった後、天気が良かったので「兼六園」を散歩した。

「真弓坂」から入り梅園の方に行くと、今年は暖冬で早いと聞いていたが、やはりちらほら梅の花が咲いていた。

「時雨亭」 のすぐ先にはある「寒紅梅」

































黄色の花の「ロウバイ」はかなり開いていて、近くに行くと良い匂いが漂ってくる。














この梅園でいちば多い「白加賀」はもう少し先のようだ。


















「成巽閣」前の「ヤマトフデゴケ」の苔地は鮮やかな緑色だ。


















「花見橋」は地震で傷んだのか、完全に取り外されていて、近くに仮橋が作られていた。



















子孫繁栄の願いを込めて作られた「鶺鴒島」にある鳥居の扁額が少し傾いているようだ。また、人生の3大儀式の最後の「死」をあらわすという五重塔の先端の石がなくなっていた。


















「明治紀年之標」の「日本武尊像」は足が非常に細いが倒れていなかった。一般の人が見ると不思議に思えるが、この足は2本の棒が台座の下に長く入りこんでいると聞いたことがある。


















「雪見橋」や「七福神山」の石や松などはあまり変わっていないように見えた。


















唐崎松も大丈夫のようだ。


















藩政期には辰巳用水を兼六園から金沢城に逆シフォンの原理で通していたが、辰巳用水の曲水の水の取り入れ口から「奇観亭」の横を通って「大桝」まで2列の石板が引かれているが、下の方は石管などが崩れていてブールーシートが掛けられたいた。
























噴水や黄門橋(石橋)などは問題ないようであった。































栄螺山付近の路は通行止めになっていたが、栄螺山の石垣が崩れていてシートが掛けられていた
兼六園は一見は大したことがなかったようであるが、やはりあちこちに被害は出ているようであった。