2022年9月27日火曜日

2022初秋の大乗寺公園

 つい1週間前まで昼は30℃を超える真夏だったが、台風が一つ通過した後、ぐっと涼しくなり、久しぶりに近くの大乗寺公園を散歩した。(9月23日)

真夜中は少し雨が降ったようだが、午前中晴れ間があったので出かけた。しかし空は少し暗く、いつ降るかわからない天気である。












公園から金石方向を見ると灰色の雲の下の街並みの所まで、何本か幅のある灰色の線が見えたが、そこは雨が降っているのであろうか?













大乗寺公園の今は、一見あまり花が咲いていないようだがよく見ると、小さな花が結構咲いていた。

























































こちらは私も知っている「彼岸花」を見つけた。


















「ガマズミ」という小さい赤い実が多くあった。レンプクソウ科ガマズミ属に属する低木落葉樹だという。


















この木の葉に所々にピンクの花か実が付いているのは何に木だろう?


















多くの木の中にわずかに紅葉している木も見える。
































こちらの低木の木はかなり紅葉している。


















管理事務所の花壇には美しい花がいっぱい咲いている。



















幹が白い見栄えの良い木があった。











2022年9月23日金曜日

シベリア抑留展示会

今回は、「シベリア 抑留展」が高岡町の「かなざわ文化ホール」で行われていたので見てきたので紹介する。この場所は、私の中学校の跡地であるがすっかり変わってしまった。







































「シベリア抑留」については、私の親戚や知人などに関係していた人が一人もいなく、あまりよく知らなかったので、少しでも知ろうと思い来た。何しろ570万人以上の人が抑留されて、極寒の地で働かされて5万人以上に人が亡くなったという、大変ひどいことをされたということだけは聞いたいた。


















昭和20年8月の終戦間際に旧ソ連が宣戦布告をし、間もなく終戦となったが、満州にいた27か所、北朝鮮8か所の日本人が集められて、1000人単位で各終結地から徒歩、貨車、船でソ連領内に連行されたという。


















旧ソ連の各地にあった日本人収容所











抑留者にとっては最初に冬は、まさに生きるための戦いであったという。完備した防寒衣類を備えていなく大寒波が襲い掛かり、食料が欠乏したうえ、重労働と絶望感から多くの抑留者が倒れたという。

抑留生活の一部の絵が展示されていた。

上は「シラミ退治」 下は「レンガ造り」

























上は「金歯とパンの交換」、下は「戦友の死」
























上は「幻覚」(頭の中にある御馳走を、空っぽのガラスケースの中を漁っている)、下は極寒の「木材の運搬」
























抑留者が日本に帰ってから思い出して描いたイラスト


















労働によって破れた部分を切り取った作業者の裾や支給された布などをあてて縫い、寒さをしのいだという。これを見ると極寒の中での作業がいかに大変だったかが偲ばれる。














イルクーツクの拘留中に、白樺の木を削って作った将棋の駒














抑留所のジオラマ


















私はシベリア抑留に関しては、テレビで作曲家の「吉田正」さんの体験談などで少し知っているくらいだったが、改めてよく知ることができた。
シベリア抑留体験者はもう95歳を超えているから、この事実を語る人がだんだん少なくなっている。戦争が終わった後でもこういうことがあったことを若い人に継いでいかなければならない。
そういえば、二葉百合子さんのヒットした唄「岸壁の母」を思い出す。抑留者が帰還する「舞鶴港」に、わが子に会うために何回も通ったという母の歌であるが、そのモデルの人は石川県の人だと聞いたことがある。

2022年9月18日日曜日

長町武家屋敷跡 野村家(2)

 長町武家屋敷跡 野村家(1)の続きで、続いて上段の間、付書院から眺める見事な庭園には、古木や庭石が奥ゆかしく配され、観光ブック「ミシュラングリーンガイド・ジャポン」で2つ星を獲得したことがある。

庭の広さが300mで、落差が2mの滝を境に上下2段に分かれており、上の部分を「上段の池」、下の部分が「下段の池」といわれる。園内には12基の様々な灯篭は設置されている。多宝塔、西乃屋形、様々な春日灯篭などがある。



















こちらは上段の池


















下段の池がある部分は、藩政期のままの形を残している。曲水は庭に設置された取り入れ口から大野庄用水の水を取り入れている。中央の「大雪見灯篭」は、高さが6尺(約1.8m)で、毎年11月上旬に入ると雨や雪で石が割れるのを防ぐために薦が掛けられ趣がある。


















右端に見える「大架け橋」は、長さが3m、幅80cmの大きな橋で桜御影石でできている。


















藩主利家と同じ尾張への郷愁から植えられた北陸には生育しないという樹齢400年以上といわれるヤマモモや、濡れ縁からひときわ大きく見えるスダジイも400年以上という。


















2階には茶室「不獏庵」は4畳半の広さで、天井には欅の1枚板を使用している。窓から見える庭の景色を見ながら抹茶を味わうことができる。
































下図は「聲桶」(こうけい)という鶯の鳥籠を桐箱に入れて、鳴き声を響き鳴かせる風情を楽しみむものだという。
























銭谷興右門を父とする黒本稼働は、時の漢学者藤田維正の門について和漢の書を学び、野村家周辺に在住したという。そしてその書庫を「鬼川文庫」と呼んでいた。その「鬼川文庫」には、野村家伝来の刀剣や前田家、明智光秀、朝倉義景などからの書状などが展示されている。



















天正14年の全国勢力絵図


















幕末の頃の前田家と野村家の歴史年表


2022年9月12日月曜日

長町武家屋敷跡 野村家(1)

 長町武家屋敷跡 野村家はこの近くを何回も通っているが、野村家の中を短時間でしか見たことがなかったので、今回は少しゆっくり見てきた。












野村家は、前田利家が金沢に入城した際に、直臣として従った野村伝兵衛信貞は禄高1200石で,10代に渡って御馬廻組組頭や各奉行を歴任し、1000坪余りの屋敷を排し、明治4年の廃藩まで続いた由緒ある家柄である。



















加賀、能登、越中三国の要にある末森城は、前田利家の重臣奥村永福(ながとみ)がこれを守っていた。1584(天正12)年9月に家康と組んでいた越中の佐々成正が、八千の軍勢で末森城を攻めた。城主永福の必死の防戦と危急の知らせに金沢城にいた前田利家が急縁し、2500人が背後から急襲して勝利を収めた。この戦いで馬廻衆野村伝兵衛は一番槍を果たし、利家より一千石の加増を申し付けられたと記されている。下図は末森城の戦いで、野村伝兵衛が一番槍を果たした時の鎧と言われている。
























武家制度の解体で、辺りの多くは菜園となったが、幸い門、土塀などは従来のままの姿を残していたものの、大正初期の窮乏でさらに土地を分割されて、現在の住宅街に変貌したという。安政期の古地図で見ると、野村家は2の橋と3の橋の間に渡っていたので、現在よりも広かった。





















現在の野村邸は、一部が当時のままを残す庭園と建物は加賀の豪商・久保伝兵衛が大聖寺藩主を招くために1843(天保14)年に建てた豪邸に一部を、昭和初期に移築したものである。この建物は現在加賀市に「蘇流館」として移築されている。久保伝兵衛は藩政期に北前船による交易で財を成した橋立の豪商である。





以前見た「蘇流館」のブログ http://kanazawa-burari.blogspot.com/2020/09/blog-post_17.html
中に入ると「奥の間」から「控えの間」、「謁見の間」、「仏間」と続く。透かし彫りの欄間
やすばらしい襖が見える。


















こちらは「上段の間」の前の「謁見の間」で、ここの襖絵は狩野派最高峰の位を持ち、加賀藩お抱えの絵師でもあった「佐々木泉景」が手掛けた山水画である。


















金に糸目をつけない総ケヤキ造りの格天井の「上段の間」には紫檀、 黒檀を使った緻密な細工造りで、床下が桐板張りだという。地袋に描かれている游亀の図も佐々木泉景色の代表作である。濡れ縁に迫る曲水を映よるギヤマン入りの障子戸はその当時、弘化、嘉永年間としてはまさに目を見張ったことに違いいない。


















































金彫師の手によるものと思われる黒柿材の透かし彫りの釘隠し、襖の引手は鉄刀木(タガヤサン)の細工彫りでできている。